動態再起論(Reboot Dynamics Theory)

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前提

この論の前提となる問題意識は資本主義的近代思想と環境問題の関係についてである。

環境問題を現実問題と哲学問題の2つの問題として考えてみると、資本主義的近代思想の限界、すなわち哲学的問題と、環境問題を含めた様々な現実的問題とが密接に絡み合っていることが見えてくる。

まず、資本主義的なシステムが引き起こす資源とエネルギーの問題を含めた様々な問題は、哲学的問題に対する転回なくして解決はできないだろう、というのが前提としてある。

その哲学的問題に踏み込まずに、断熱強化等の対処療法を行うだけでは、環境問題に対する根本的な解決にはなり得ない。また、建築の可能性も限定されたものになってしまうというのが、この論が前提としている問題意識である。

存在論的・認識論的転回

哲学的問題とは

では、哲学的問題とは何か?

哲学には大きく分けて「存在論」と「認識論」という二つの柱がある。存在論は「何が存在するのか」「世界はどのように成り立っているのか」といった問いを扱い、認識論は「私たちはどのように世界を知ることができるのか」「知識とは何か」といった問いを扱う。

一見すると、これらの問いは抽象的で現実の問題とは無関係に思えるかもしれない。しかし、それは大きな誤解である。哲学的な問いに対する答えや立場は、その時代の人々の態度や行動を根底から規定し、社会のあり方や技術の使い方、そして建築の在り方にも大きな影響を与えてきた。

例えば、近代思想は「人間は自然を支配し、利用する存在である」という認識を強化、あるいは自然を他者として意識の外に追いやり、それが資本主義の拡大とともに過度な自然利用や環境破壊を招く要因となった。このような認識論的前提が変わらない限り、いくら技術的に環境負荷を減らそうとしても、その努力は対症療法にとどまり、根本的な解決には至らない。

したがって、建築が真に環境問題の解決に寄与し、より持続可能な未来を構築するためには、技術的な対策のみならず、存在論や認識論といった哲学的次元から私たちの世界観や価値観を問い直す必要があるはずである。

では、近代的な世界の捉え方をどのように転回することが可能だろうか。

状態からはたらきの世界観へ

近代思想、特にデカルト的二元論は人間と自然を分断し、自然を他者として捉える視点を提供した。この考え方を基盤に資本主義が発展し、自然は支配・管理・消費される対象として扱われるようになった。

しかし、かつて人間は自然と調和し、持続可能な生活様式を営んでいた。これはアニミズム的な世界観とも言えるが、現代においてこれを単純に復古するのではなく、新たな形で捉え直す必要がある。

ここで導入したいのが、ティム・インゴルドの「線」と「メッシュワーク」の思想である。インゴルドは世界を固定的な点のつながるネットワークではなく、無数の線が交差し、結びつき、絶えず変化し続けるメッシュワークとして捉えている。

この視点を取り入れることで、私たちは自然と人間、そして建築を含むあらゆるものを、固定的な存在ではなく相互作用し続ける動的な関係性として理解することができる。

目指すのは、状態(構造)の世界観からはたらき(システム)の世界観への転回である。

上図は、インセクトのストーリーに出てきた、世界観の転回に関する項目をまとめたものである。

この転回によって、世界を状態や構造として捉える静的な世界観から、動的で流動的な「はたらき(システム)」として捉える世界観へと移行し、人間と自然の関係性を再考することを促す。
生命や存在を状態としての「点」ではなく、はたらきとしての「線」として理解し、それらの関係性を分断された要素のネットワークではなく、絶えず交差し変化し続けるメッシュワークとして捉える。
そして、建築を単体としてではなく、世界の中の相互作用する存在として位置づけることを目指す。

つまり、分断によって静止した世界に漂う建築を、変化し続ける動的な世界の中に動態として再起動(reboot dynamics)するのである。

そして、動態としての建築のモデルとなるのが自然あるいは生命そのものである。

生命の循環からの学び

循環

自然界における循環は、静的な構造物としてではなく、絶えず変化しながらバランスを保つ動的なプロセスとして存在している。水が大気を巡り、土壌に染み込み、植物を育て、再び大気へと還るように、すべての要素は相互に作用し合い、一つの巨大なメッシュワークを形作っている。
そして、メッシュワーク内の生命や自然現象といった要素は、それぞれが何らかの役割を果たしながら自然界の循環の一端を担っている。

▲炭素循環の例(『エクセルギーと環境の理論』を参考に作図)

▲▲光合成と呼吸の全体像(『エントロピーから読み解く生物学: めぐりめぐむ わきあがる生命』p.41)

建築もまた、この循環の中に組み込まれるべきであり、単なる孤立した「箱」ではなく、自然のシステムと共鳴し、呼吸し、循環する存在でなければならないだろう。

生命とエントロピー

宇宙全体はエントロピー増大の法則に従い、物質やエネルギーは徐々に均質化し、最終的には熱的死へと向かう。エントロピーとは「物事が混ざり合い、区別がなくなっていく」傾向のことであり、あらゆる存在は時間の経過とともに秩序を失い、無秩序へと向かう運命にある。しかし、自然界の循環はその宇宙の大きな流れに対して、太陽から供給されるエネルギーを利用し、一時的に秩序を維持し続けることでこの法則に抗っている。

生命とは、まさにこの「エントロピーの増大に抗う存在」である。細胞や生態系といったシステムは、エネルギーを循環させ、混ざり合い無秩序になることを遅らせることで、一定の構造や機能を維持している。常に死へと至ろうとする宇宙の摂理の中で、それに抗い、秩序を維持する不自然な存在。それこそが生物である。そして、その抗いは循環ともみごとに呼応し合っている。そこにはある種の奇跡性と不思議さ、そして抗い続けることの美しさが宿っている。

建築もまた、物理的には「エントロピー増大に抗う存在」と言えるだろう。人工的に形成された空間は、外部環境から独立した構造や機能を保ち、均質化(無秩序化)しようとする自然の力に対して、一時的に秩序を維持する「不自然な存在」だ。しかし、その在り方の手本は、自然界の循環、特に「太陽を発端とするエネルギーの流れの中で奇跡的に成立している」生命の姿に見出される。

このような視点を建築に取り入れることで、建築は単なる人工物ではなく、自然循環と呼応し合いながらも、生命が持つ「抗い」の躍動感やエネルギーを宿すような存在となりうるのではないか。

それは、使命感や義務感からつくられる建築ではなく、もっと根源的に、そこに存在するすべてのものを肯定する建築へとつながっていく。その建築は、そこに住む人々や触れる人々をも肯定する場として機能するだろう。

建築が自然の循環や生命の在り方と共鳴した動態となることで、単なる機能や形態を超え、「生きていること」と呼応する存在となるはずである。

建築環境


それでは、建築環境をどのように考えるとよいだろうか。

先に「断熱強化等の対処療法を行うだけでは、環境問題に対する根本的な解決にはなり得ない」と述べたが、これらの技術が大切なものであることは間違いない。建築が環境と共鳴し、自然循環の中に組み込まれるためには、断熱や気密化、さらには熱容量といった技術的基盤が不可欠である。

温熱環境の専門家であり、北海道における高断熱高気密住宅の先駆者である荒谷登は、「欠陥対応型技術」ではなく「良さ発見型技術」を推奨する。これは、電力のような独立した強い力で問題を解決しようとするのではなく、無償の自然エネルギーのような「弱い力」を見出し、それらを組み合わせ、引き出すことで問題解決を図ろうとする姿勢である。

しかし、こうした弱い力は、それだけでは問題を解決するほどの力を持たない。だからこそ、断熱(+気密化)と熱容量が重要な役割を果たす。これらが「弱い力」に役割を与え、それらを生かすための環境を整えるのだ。いわば「断熱・気密化」「熱容量」「弱い力」の三者が支え合う「三つ巴の温熱環境論」がここにある。


この「弱い力」は、地域性や変動性を持ち、強い力への依存のように思考を停止させるものではなく、むしろ積極的な関わりや創造的な工夫を促すものである。それゆえ、歴史的に積み重ねられてきた建築知識や地域ごとの知恵が意味を持つ。そして、私たち自身もまた、その「弱い力」を見出し、活用する感性や技術を養う必要がある。

また、さまざまなものに目を向け、ささやかでも心地よさのもとになるものをいくつも積み重ねていくことは快適性の質にも変容をもたらす。快適性とは、単に温度や湿度が一定に保たれることではなく、風の通り道、光の揺らぎ、素材の質感、季節の移ろいなど、多様な要素が織り交ざりながら感じられるものである。それは数値で完全に管理できるものではなく、人の感覚や経験を通して初めて立ち現れる質的なものである。

動態再起論は、まさにこの「弱い力」に再び役割を与えるための考え方である。自然の循環や生命の在り方と共鳴しながら、建築環境が「静的な構造物」ではなく「動的なプロセス」として機能することで、自然の「弱い力」を最大限に引き出し、活用する道筋を示す。それは、単なる環境技術論にとどまらず、建築が「生きていること」と呼応する存在となるための本質的な視点なのである。

遊び


世界の捉え方を変えようと思っても、それまでの生活や経験の中で染み付いた思考の構造は、そう簡単には書き換えられない。それは単なる頭の中の思考だけではなく、身体や感覚、日々の行為に深く結びついているからだ。

そのため、思考を転回させるには、生活や行為を少しずつ変えていき、その中で得た体験を通して、自らの思考方法を少しずつ「上書き」していく必要がある。そして、そのために必要なのが「遊び」という態度である。

近代的な思想に基づいた世界は、複雑に分割され、機能的であるがゆえに全体像が見えづらくなった「便利で不安な世界」である。そのような「よく分からないもの」に囲まれた状況に対して、一つひとつのパーツを知り、自分の手触りのあるものへと変えていくこと。それこそが「遊び」である。

また、遊びとは、単なる娯楽や余暇のことではなく、「よく分からないもの」に新たな役割を与え、再び「はたらき」を取り戻させる試みともいえる。

身の周りの環境に目をやると、現代社会が動態を静的なものとして扱ってきた結果として、風が風すること、土が土することができなくなった状態をいたるところで目にする。たとえば「大地の再生」の試みは、この状態に対して、わずかな手を加えることで動態を再起動させるプロセスといえる。その結果、止まっていた線が再びはたらきを取り戻し、メッシュの中に返されることで、他の要素と絡み合い、相互作用し、全体が動き出す。

遊びもまた、このような「再起動」の行為と捉えることができる。そして、それは単に個別の対象を動かすだけではなく、連鎖的に全体を動かし始める力を持っている。

ひいては建築もまた、そのような行為の一つであるべきだろう。建築は単なる静的な構造物ではなく、自然や人間、周囲の環境と相互に作用し合い、息を吹き込むことのできる存在となることで、全体のシステムを活性化させる役割を担うことができる。そこにこそ、建築の真の可能性がある。

ツールとスキル


ここまで述べてきた動態再起という考え方は、建築だけでなく、人間そのものの世界との関わり方に対しても転回を迫るものである。現代の資本主義的思想をベースとした社会、特に都市部では、世界と関わるためのツールやスキルがサービスとして外部化され、人々は主体的に世界と関わる手段を失いつつある。

道具を通じて環境や自然に直接触れ、向き合う機会が減少した現代社会では、環境に対する理解や感覚が深まることは難しい。これにより、人間は環境や建築、さらには自分自身とのつながりを見失い、静的で受動的な存在へと近づいている。

動態再起論を進めるためには、こうした状況を乗り越え、人間が世界と関わり合える「動態」として再起動することも必要であるが、そのためには、ツールとスキルの復権が不可欠である。人間が主体的に世界と向き合い、環境や建築との関係性を築き直すためには、これらを使いこなす能力が必要とされる。

この視点は、建築そのもののあり方にも影響を及ぼす。ツールやスキルを持った人間が建築と関わることで、建築が動的な存在へと変容することを後押しする。それは、人間と建築、さらには環境全体が相互に作用し、絶えず動き続ける関係性を構築する道筋を示している。

むしろ、この動態再起論が最終的に目指すものは、建築そのものの動態化に留まらず、人間そのものを動態として再起動することにあるのかもしれない。人間がツールとスキルを通じて主体性を取り戻し、環境や建築と共鳴する存在となるとき、動態再起論の本質的な目的が達成されたといえるのかもしれない。

風景の運動性


ここまで、環境というテーマをもとに考察してきたが、もともとの個人的なテーマは別のところにあった。それは、幼少期に感じていた「ニュータウン的な環境」に対する違和感に端を発し、建築に関わる者として、この違和感にどう向き合えばよいのかを探ることにあった。それは、「人が人らしく生きられる環境とは何か」を問い続けることでもあった。

その違和感が決定的なものになったのは、私が学生の頃に起こった神戸連続児童殺傷事件を契機としてである。私はこの事件に大きな衝撃を受け、建築や環境が人の心や行動にどのような影響を与えるのか、建築が作り出す風景がどのように人の生き方に作用するのかを考えざるを得なかった。そして、私が抱いていた違和感の本質は、ある種の建築が生み出す風景の「運動性の不在」、あるいは現実感の喪失にあるという結論にたどり着いた。

もちろん、ニュータウンそのものが運動性を完全に欠いているわけではない。ただ、わずかに残る運動性も近代的な価値観のもと見捨てられていっただけである。
運動性の不在・現実感の喪失を克服するには、近代的な価値観をずらし、運動性を見つけ出す目とそれを生かす感性が必要である。それが私が抱えていた根本的な違和感に対するひとつの結論でもあった。

これまでこのテーマのもと建築について考え続けてきたが、ある時、期せずしてたどり着いた建築を動態として捉える考え方は、この違和感に対する回答となり得ることに気づいた。

つまり、建築を単体としてではなく、環境と相互作用する動態として定義することで、建築によって生み出される風景に運動性を取り戻すことがのできるのではないか。それによって風景そのものを動態として再起動することができるのはないか。そんな期待を抱く。

風景が動態として再起動することで、人々の感覚や行動、記憶に深く働きかけ、環境と調和しながら変化し続ける豊かな空間を生み出すことが可能となる。
それは、建築を単なる構造物としてではなく、都市や地域全体に活力を与えるシステムの一部として再定義する視点を提供する。この視点により、建築は現代の分断された風景を再統合し、人間らしい営みを支える舞台へと変える可能性を秘めている。

環境という問題に取り組むことは、私がもともと抱いていたこうした問題意識から遠ざかるものと思っていた。しかし、結果として私の原点に立ち返る形となった。

動態再起論(Reboot Dynamics Theory)

ここで、これまでの議論を動態再起論 として取りまとめてみたい。

動態再起論とは

動態再起論 (Reboot Dynamics Theory) は、現代社会が自然や環境、建築を「静的な構造」として扱う中で失われてきた「動態としてのはたらき」を再び呼び覚ますための思想である。この論は、資本主義的近代思想がもたらした分断的な世界観と、それが引き起こした環境問題を克服するために、自然と人間、建築の関係性を再構築することを目指している。建築を単なる機能や形態ではなく、環境や人間と相互に作用し続ける「生きた存在」として位置づけ、その可能性を追求する。

6つの動態再起

ここでの動態再起は次の6つの側面から行われることを想定してる。

1.分断によって静止した世界に漂う建築を、変化し続ける動的な世界の中に動態として再起動する


まず、世界を状態や構造として捉える静的な世界観から、動的で流動的な「はたらき(システム)」として捉える世界観へと移行し、人間と自然の関係性を再考することを目指す。
生命や存在を状態としての「点」ではなく、はたらきとしての「線」として理解し、それらの関係性を分断された要素のネットワークではなく、絶えず交差し変化し続けるメッシュワークとして捉える。
そして、建築を単体としてではなく、世界の中の相互作用する動態として位置づける。建築は、変化し続ける世界の一部として存在することで新たな役割を担うことが可能となる。

2.生命を手本として、建築を自然の循環の中に組み込み、エントロピー増大に抗う動態として再起動する


メッシュワーク内の生命や自然現象といった要素は、それぞれが何らかの役割を果たしながら自然界の循環の一端を担っている。また、生命とは「エントロピーの増大に抗う存在」であり、自然界の循環の中にありながら、秩序を保ちつつ変化し続ける存在である。
そこにはある種の奇跡性と不思議さ、そして抗い続けることの美しさが宿っている。
建築もまた、「エントロピー増大に抗う存在」であるが、自然の循環と生命のあり方を手本とした動態となることで、自然循環と呼応し合いながらも、生命が持つ「抗い」の躍動感やエネルギーを宿すような存在となりうる。
そのようなあり方は、使命感や義務感からつくられるのではない、もっと根源的にそこに存在するすべてを肯定するような建築へとつながっていくはずである。

3.建築を「弱い力」に再び役割を与える動態として再起動する


断熱強化等の技術は重要であるが、そのままでは資本主義的近代思想を温存することになりかねない。
ここで必要なのは、電力のような独立した強い力で問題を解決しようとするのではなく、無償の自然エネルギーのような「弱い力」を見出し、それらを組み合わせ、引き出すことで問題解決を図ろうとする姿勢である。
こうした弱い力は、それだけでは問題を解決するほどの力を持たないからこそ、断熱(+気密化)と熱容量といった技術が重要な役割を果たし弱い力に役割を与える。
この弱い力は、地域性や変動性を持つため、積極的な関わりや創造的な工夫、そして、私たち自身の「弱い力」を見出し活用する感性や技術を求める。
また、さまざまなものに目を向け、心地よさのもとになるものをいくつも積み重ねていくことは快適性の質にも変容をもたらす。
建築は自然の弱い力を最大限に引き出し活用するような動態となることで、「生きていること」と呼応するような存在となりうるだろう。

4.建築を他の要素と相互作用し全体を活性化させる動態として再起動する


世界の捉え方を変えようと思っても、それまでの生活や経験の中で染み付いた思考の構造は、そう簡単には書き換えられない。そのため、思考を転回させるには、生活や行為を少しずつ変えていき、その中で得た体験を通して、自らの思考方法を少しずつ「上書き」していく必要がある。そして、そのために必要なのが「遊び」という態度である。
遊びとは、単なる娯楽や余暇のことではなく、「よく分からないもの」を自分の手触りのあるものへと変えていき、再び「はたらき」を取り戻させる試みといえる。そして、それは単に個別の対象を動かすだけではなく、連鎖的に全体を動かし始める力を持っている。
このような遊びの視点を建築に適用することで、建築は自然や人間との相互作用を促進し、全体のシステムを動かし始めることができる。
建築は、ただ存在するのではなく、環境や人々の営みに影響を与えながら新たな価値を生む動態として動き出す。

5.人間自体が主体的に世界と向き合う動態として再起動する


動態再起という考え方は、建築だけでなく、人間そのものの世界との関わり方に対しても転回を迫るものである。
特に現代の資本主義的思想をベースとした社会、特に都市部では、世界と関わるためのツールやスキルがサービスとして外部化され、人々は主体的に世界と関わる手段を失いつつあり、そのような社会では、環境に対する理解や感覚が深まることは難しい。
動態再起論が目指すのは、こうした状況を乗り越え、人間が世界と関わり合える「動態」として再起動することである。
この視点は、建築そのもののあり方にも影響を及ぼす。ツールやスキルを持った人間が建築と関わることで、建築もまた動的な存在へと変容する可能性を秘めており、さらには人間と建築、さらには環境全体が相互に作用し、絶えず動き続ける関係性を構築する。

6.建築を風景に運動性を与える動態として再起動する


資本主義的近代思想によって生み出された風景は、あらゆる側面で運動性を失い、その結果人々から現実感を喪失させている。
これに対し、建築を静止した構造物ではなく、環境と相互作用する動態として定義することで、建築によって生み出される風景に運動性を取り戻すことを目指す。
それによって動態として再起動された風景は、人々の感覚や行動、記憶に深く働きかけ、環境と調和しながら変化し続ける豊かな空間を生み出すことが可能となる。
それは、建築を単なる構造物の集合体としてではなく、都市や地域全体に活力を与えるシステムの一部として再定義する視点を提供する。


これが、私の提案する動態再起論 (Reboot Dynamics Theory) である。

この考え方は、建築を静的な構造物ではなく、自然や人間、環境、時間と相互作用し続ける「動態」として捉えることで、建築の新たな可能性を開くものである。建築が再び動き出し、世界と呼応し続ける存在へと転回することで、私たちの未来に持続可能で豊かな空間をもたらすことを目指している。

もし、神戸のニュータウンが、豊かな運動性と現実感に満ちた街であったならば、あのような事件は起きなかったのかもしれない。しかし、それはただの可能性に過ぎず、過去が塗り替えられることは決してない。
ただ、そうした可能性こそが、私が建築を続けるための希望である。人が人らしく生きられる環境をつくるために、建築が果たせる役割を探り続けたい。それが動態再起論に込めた思いである。

 

参照ページ

前提

インセクト | 第2話「環境問題って何?」前編
我々は希望の物語を描くことができるか B289『哲学は資本主義を変えられるか ヘーゲル哲学再考』(竹田 青嗣) – オノケン│太田則宏建築事務所

存在論的・認識論的転回

インセクト | 第3話「環境問題って何?」後編
インセクト | 第19話『アニミズムって何?~土と風の話』前編
インセクト | 第20話『アニミズムって何?~土と風の話』中編
システムに飼いならされるのはシャクだ、というのは個人的なモチベーションとしてありうる B243 『人新世の「資本論」』(斎藤 幸平) – オノケン│太田則宏建築事務所
アニミズムと成長主義 B288『資本主義の次に来る世界』(ジェイソン・ヒッケル) – オノケン│太田則宏建築事務所
開かれているということ B301『生きていること』(ティム インゴルド) – オノケン│太田則宏建築事務所

生命の循環からの学び

インセクト | 第4話「自然と調和する建築?」前編
インセクト | 第13話「生命の躍動感を建築に!」前編
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生命、循環とエントロピー B294『エントロピーから読み解く生物学: めぐりめぐむ わきあがる生命』(佐藤 直樹) – オノケン│太田則宏建築事務所
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建築環境

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インセクト | 第22話「ツールとスキルからはじまる可能性」
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風景の運動性

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