生命、循環とエントロピー B294『エントロピーから読み解く生物学: めぐりめぐむ わきあがる生命』(佐藤 直樹)

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佐藤 直樹 (著)
裳華房 (2012/5/20)

循環をエントロピーの視点から捉えたかったのと、生物の循環に対するシステムに大きなヒントがあるはずと考えていたため、本屋で関連がありそうな本を探して見つけたもの。

しかし、本書を読んで分かったのは全く逆で、あらゆる資源性(エクセルギー)は、エントロピーというゴミがうまく排出され循環の中に位置づけられることなしには機能しないため、重要な問題はエントロピーの方にある、ということだった。資源性を第一とするイメージは未だ近代的な世界観に囚われてしまっていたのだ。エントロピーは熱力学という限定的な学問分野の一つの法則である、というイメージを持っていたが、そのイメージにとどまらせていては、全体を見る視点は得られない。エントロピーは地球の活動と生命を含む、あらゆる循環を司る番人なのである。(オノケン│太田則宏建築事務所 » あらゆる循環を司るもの B292『エントロピー (FOR BEGINNERSシリーズ 29) 』(藤田 祐幸,槌田 敦,村上 寛人))

奇しくも、アフォーダンスもオートポイエーシスも構造ではなく、機能・はたらきへの目を開かせてくれた。 しかし、建築として<かたち>にするには、何かパーツが足りていない気がしていた。 本書を読んで、その足りていない<パーツ>の一つは、「流れ」と「循環」のイメージ、及びそれに対する解像度の高さだったのかもしれない、という気がした。 その解像度を高めつつ、それが素直にあらわれた<かたち>を考える。そして、あわよくば、そこにはたらきが持つ生命の躍動感が宿りはしないか。 そんなことに今、可能性を感じつつある。(オノケン│太田則宏建築事務所 » はたらきのデザインに足りなかったパーツ B274『エクセルギーと環境の理論: 流れ・循環のデザインとは何か』(宿谷 昌則))

ここでも、日本のこれまでの伝承形式の限界を感じる。(知恵や技術が伝承される際、その意味や目的が、様式に埋め込まれた形で背後に隠れてしまうため、様式が変化すると意味や目的も同時に極端な形で失われてしまう) この2冊はその意味や目的を再度問い直すものであり、多くの共感者(特に若い人たち。今では建築の学生でも土中環境と言う言葉を使う人が増えているように思う。)を生んでいるのは、心の何処かで違和感を感じて納得できる知恵を求めている人が多いからかもしれない。(オノケン│太田則宏建築事務所 » 水と空気の流れを取り戻すために何ができるか B280『「大地の再生」実践マニュアル: 空気と水の浸透循環を回復する』(矢野 智徳))

循環のイメージをよりクリアにしたい、とのことで本書を読み始めたけれども、前半はエントロピーという言葉はほとんど出てこず、生物学的な基本的な構造の説明が主だったため、門外漢の私にはなかなか入り込めなかった。
これは買う本を間違えたかな、と少し思いつつも読み進めると、後半、前半で読んだことが一気につながって、最後には大きなヒントが得られたように思う。もしかしたら、これまで生命をオートポイエーシスシステムとして捉えていた中で、足りていなかったもう一つの重要なパーツを埋めることができたかもしれない。

めぐり、めぐむ わきあがる生命とオートポイエーシス

本書のサブタイトルは「めぐり、めぐむ わきあがる生命」である。
「めぐる」とは、さまざまなものが循環するサイクルを、「めぐむ」とはそれらの多様なサイクルが互いに関係しあい、何かを渡しあっていること(共役)を、そして「わきあがる」とはそれらのめぐりめぐむ多数のサイクルが、全体としてもう一つ上の階層のサイクルとしてめぐりはじめることを示している。

本書では、分子レベルから、細胞や生物個体、生態系や地球環境など、さまざまなスケールのサイクルを示す図が多数取り上げられている。

例えば

▲光合成を行う植物と、呼吸を行う動物の間の循環がイメージできる図。
植物の光合成では、太陽からエネルギーを得ることで二酸化炭素を糖(炭水化物)に変える。そのための還元剤は水が酸化し酸素を生じさせるもう一つのサイクルによって機能する。
一方、動物の呼吸では、糖が酸化し、二酸化炭素へと変わる。そのための還元剤は酸素が水へと還元されるもう一つのサイクルによって機能し、その際にATPにエネルギーが蓄えられ、動物の様々な活動に使われる。
二酸化炭素と糖、水と酸素の2つの循環が、太陽からのエネルギーを形を変えて受け渡す。



▲炭素と窒素なども循環している。窒素固定を行える生物は根粒菌やシアノバクテリアなどに限られ、窒素固定のシステムは地球の生命の歴史の中でただ一度しか発生しなかったのではと言われているそう。


▲太陽から始まる地球のエネルギー収支はおなじみ。

本書はこれらの、めぐり、めぐむ、わきあがるサイクルから生命とは何かに迫ろうとするのだが、これらは、はたらきが駆動しつづけることで境界をつくりだすオートポイエーシス・システムと、それらのカップリングにより、より上の階層のオートポイエーシス・システムが駆動すること、と考えられるな、と思いながら読んでいた。(本書ではオートポイエーシスについては触れられていない)

しかし、本題はここからで、そのイメージに足りていなかったパーツが埋められることになる。

不均一性と生命

生命をオートポイエーシス・システム、もしくははたらきと捉えることで、生命の独自性をイメージすることができるようになる。
自走するはたらきを内にもつことそのものが生命を生命たらしめているのである。

しかし、それがなぜ、駆動し、自走し続けるのか、ということは、欠けたパーツとしてイメージを持てておらず、そういうものだと思うしかなかった。

そこで不均一性、エントロピーが登場する。

不均一性とは、エントロピー差のことで、秩序だっていることである。
秩序は一見、均一性を持ちそうなイメージがあるけれどもそうではない。世界は必ず、不均一な状態から均一な状態へと移行しようとするが、それに抗って、不均一な状態を維持すること、いわば不自然な状態を維持することが秩序である。
そして、秩序は不均一な状態から均一な状態へと移行する能力を持っている。エントロピーが小さく、エクセルギーを持つ、とも言い換えることができる。

ここで、結論を言うと、生命とは、エントロピー増大の法則に抗って、不均一性を維持するシステムなのだ。そして、この抗う力はやはり太陽から得ている

生命は、一つは、光合成によってエントロピーを減少させることで、システムを駆動する力(エクセルギー)を得ていること、もう一つは、その駆動力の一部をつかって、システム自体の構造を生み出す力を生み出すこと(遺伝子情報の複製・利用・変異)、の2つによって、オートポイエーシス・システムの自走を可能にしたものであるといえる。
(本書では、情報そのものが不均一性である、と書いているが、そこは明確には理解できなかった。おそらくここが重要なポイントだと思うので今後の課題にしたい)

光合成によって生じた不均一性は、めぐりめぐむサイクルの中で他のサイクルをめぐり、そして上の階層のサイクルへとめぐりめぐむ。その循環が、分子レベルから個体、さらには生態系へとめぐっていく。それらはいずれも、常に均一へと至ろうとする世界の中で、それに抗い不均一な状態を生み出そうとする営みである。(そういう意味では、生命ほど不自然なものはないかもしれないし、その不自然さが生命に何か不思議な力を感じさせるのだろう。)

さらに、生命の進化もこの不均一性を生み出す営みの中で説明される
秩序を持った遺伝情報は、秩序を失い、多数の変異多様性へと向かう。その大量の多様性の中から選択されたものが新たな種へと固定する際に、情報のエントロピーは減少する(秩序が生まれる・不均一性が増す)。
進化とは、一見多様性が増し、エントロピーが拡大するように思えるが、全体を見ると、生命が不均一な状態を生み出そうとする営みの一つとすることができる

また、著者が、エントロピー差もしくはエクセルギーのことを「不均一性」と呼ぶことには意図があるように思われる。
エントロピーもしくはエクセルギーと言った場合、何かしら機械論的・直線的に全てが決まる印象があるけれども、(これも物理的には説明ができると思うが)世界には確率論的な揺らぎがあり、階層的なシステムは複雑系としての単純化できない何かがある。その何か不思議さのようなものに対するニュアンスを、生命に対する敬意も含めて「不均一性」という言葉に込めているのではないだろうか。

いずれにせよ、生命がなぜ、駆動し、自走し続けるのか、ということに新たなイメージを得られたことは大きな収穫だった。結局のところ、地球というシステムはすべて太陽からの恵みを循環させることによって成り立っていて、それに対する敬意はやはり失くしてはならないのだろう。そして、そのイメージをクリアにするためにエントロピーという概念は有効に違いない。

余談 資本主義について

本書では、生命の原理に迫ることにとどまらず、最後は、そこから「不均一性の哲学」と呼べるものを描き出そうとしている。(それはまだ体系的なところまでは行っていないが、それを素描することが本書の本当の目的だろう)

その中で、一部、経済格差についても触れられている。

本来、放っておけば、お金はみんなに均等に分配されそうなものだが、こうしたエントロピー的な均一化する力に対して、経済を活性化しようとする力は富を不均一化し、大きな富をもつ者を少数生み出す。これは「温度」が高いことに相当する。これでわかるのは、経済が活発で好景気のときには、全員が豊かになるのではなく、貧富の格差が拡大するのである。(p.194)

こうしてみると、格差を拡大しようとする資本主義は、エントロピー増大の法則に抗い不均一性を維持しようとする生命の本性に従うものなのかもしれない。

資本主義が、どこかで循環を可能とする持続可能性を獲得するものなのか、それともがん細胞のように循環の原理を無視した一種のバグだったとなるのかは分からないが、生命とエントロピーの視点の中に位置づけられたことは一つ視点を上げられたかも知れない。自分がどう向き合うかは別にして、繁栄も破滅もおそらく地球の営みの中の一つに過ぎないのだろう。

著者の言う「不均一性の哲学」とも呼べる視点を獲得することには大きな可能性を感じるので、引き続き関心を持っていたいと思う。(エントロピー経済学に関するものも一度は読んでみよう)


一生のうちに一度は、こういうものを結晶化させたものをつくりたいけれども、そればかりは機会を待つしかないな・・・





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