建築において遺伝子に相当するものは何か B298『生命とは何か: 物理的にみた生細胞』(シュレーディンガー)

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シュレーディンガー (著), 岡 小天 (翻訳), 鎮目 恭夫 (翻訳)
岩波書店 (2008/5/16)

本書は1943年にダブリンの高級学術研究で行われた講演をもとに出版されたもの。日本語の翻訳版は1951年、1975年、2008年と三度出版されている。

ここで、結論を言うと、生命とは、エントロピー増大の法則に抗って、不均一性を維持するシステムなのだ。そして、この抗う力はやはり太陽から得ている。(オノケン│太田則宏建築事務所 » 生命、循環とエントロピー B294『エントロピーから読み解く生物学: めぐりめぐむ わきあがる生命』(佐藤 直樹))

上記の本で、エントロピーと生命の関係を知れたことは大きな前進だったのだが、本書を読んだのは、その発端となったシュレーディンガーの「生物体は「負エントロピー」を食べて生きている」という記述を追っておきたい、という軽い気持ちからであった。しかし、本書はそれにとどまらない。

他領域をまたぐ入門書的名著

物理学者であるシュレーディンガーが、専門外である生物学の分野をまたぎながら「生命とは何か」を丁寧に説明する本書は、熱力学、量子力学、遺伝学などを理解する上でもとても良い本だった。

といっても、80年前の話なので、その後の学問的な進展は当然反映されていない。
ワトソンとクリックにより遺伝子の二重螺旋モデルが提出されたのは1953年、講演から10年後である。シュレーディンガーのこの講演が分子生物学の扉を開いたわけだが、本書にはこれこそ学問的想像力だ、と感じさせる面白さがあった。

また、この講演と現在の最新の知見との間のギャップを私は理解していない。(これから、少し学んでみるつもり)
しかし、それでも、というかだからこそ、本書の丁寧な説明はとても今の自分には有益だったように思う。

生命の秩序と物理法則、エントロピー

私の誤解や、現代の知見との相違があるかもしれないけれども、備忘録として大まかな内容をまとめておきたい。
(断定的に書くけれども理解のおかしいところがあるかもしれないので、そのつもりで読んでいただければ)

本書における議論は「生きている生物体の空間的境界の内部でおこる時間空間的な現象は、物理学と化学によってどのように説明されるか?(p.12)」という疑問から始まる。

・なぜ生物は原子に比べてそれほど大きいか

次に投げかけられる疑問は「われわれの身体は原子に比べて、なぜ、そんなに大きくなければならないか(p.21)」である。
これには「統計物理学」の考えが関連する。

私たちは、さまざまな物理的・科学的現象を古典的な物理学で理解することができるわけだが、それは、対象としている物質が十分に大きいからである。
ミクロで見たそれぞれの分子は、ブラウン運動のように、全くランダムな動きをしており、それらの性質を一意的に捉えることはできない。
(この、ミクロなランダム性がエントロピー増大の法則のもとになるように思われるが、それは一旦置いておく)

それらの運動をマクロに見て統計的に平均したものが物質の性質として現れ、物理学や化学の法則として扱うことを可能にするが、そこでは対象となる分子の数nに対し√nの確率誤差が生まれるという(√n法則。率として√n/n=1/√nの誤差がある)。
つまり、分子数nが小さい場合は、分子のランダム性の影響が大きすぎてはなはだ不安定なものとなり、ごく僅かな分子の揺らぎから多大な影響を受けることになる。これが「われわれの身体は原子に比べて、なぜ、そんなに大きくなければならないか」という疑問に対する答えを導く。生物が安定的な存在であるには大きくなければならないのだ。

・なぜ遺伝子は極めて規則的な法則性と奇跡的な耐久性を持てるのか

しかし、遺伝における突然変異をX線の照射によって調べると、それが起こるのは原子間距離の約10倍の立方体の範囲において、つまり原子数が多くても10の3乗=1000個程度の範囲であるという。
ここから、遺伝子の構造はかなり少数の原子からなることが分かるわけだが、先程の√n法則を考えた時に3%以上の誤差があることになってしまう。これでは遺伝子の法則性と、生命の歴史をこえるような耐久性を古典物理学では説明できなくなる
なぜ、遺伝子はこれほどまで小さくあれるのか。

この疑問に突破口を与えたのが量子力学のうち1920年代にハイトラーとロンドンによって明らかにした化学結合の量子理論である。
かなり小さい体系、マクロな領域では、エネルギーや運動特性は連続的に変化するのではなく、不連続な飛び飛びの値を取るという。さらに、ある粒子の配列状態は、より大きなエネルギーを持つ別の配列状態に遷移する(量子飛躍)にはそのエネルギー差に応ずるエネルギーが加える必要がある。
この遷移が起こる期待時間はt=τe^(W/kT) [τ,k:定数 W:必要なエネルギー差 T:絶対温度]で表せるが、遺伝子を分子構造と仮定すると、かなり長い期待時間と、極稀に起こる突然変異が説明できる。
つまり、生物の遺伝情報といった複雑な暗号のようなものが一つの分子として成立していると考えられる。そう考えると、量子力学によってミクロな遺伝子が耐久性を持つことを説明できるのである。

・生物体は「負エントロピー」を食べて生きている

生物体は「負エントロピー」を食べて生きている、といった時、生命が光合成や糖によりエクセルギーを取得し、増大したエントロピーを廃棄しながら動き続けている、ということを指すのだろうと思っていた。
実際、そのことが書かれているのだが、本書の主題として多くのページが割かれているのは、遺伝情報の保持の仕方であった。

ものごとは、物理学の統計的なふるまいにより放っておけば無秩序な状態へと変わっていく、という傾向(エントロピー増大の法則)に対し、「量子論の魔法の杖」によって持久性と小ささ、複雑さを合わせ持つことを可能とした遺伝子。ここにもエントロピー増大の法則に抗う生命の謎があったのだ。

生命は、一つは、光合成によってエントロピーを減少させることで、システムを駆動する力(エクセルギー)を得ていること、もう一つは、その駆動力の一部をつかって、システム自体の構造を生み出す力を生み出すこと(遺伝子情報の複製・利用・変異)、の2つによって、オートポイエーシス・システムの自走を可能にしたものであるといえる。(オノケン│太田則宏建築事務所 » 生命、循環とエントロピー B294『エントロピーから読み解く生物学: めぐりめぐむ わきあがる生命』(佐藤 直樹))

後者については、この時あまりピンときていなかったのだけれども、少しイメージがクリアになったかもしれない。

建築において遺伝子に相当するものは何か、に関する仮説

見方によっては、建築は「常に均一へと至ろうとする世界の中で、それに抗い不均一な状態を生み出そうとする生命のようなもの」と言えるかもしれない。
また、建築に生命のような躍動感を与えるにはただ不均一な状態を生み出すだけでなく、「太陽を発端とする循環の中で奇跡的に成立している」生物のあり方を手本にする必要があるのではないか。

最近、そんな風なことを考えているのだが、では、本書で得た知見は建築においてどのようなイメージにつながるだろうか。
言い換えると、建築において遺伝子に相当するものは何と考えるとイメージを広げられるだろうか

これに対する答えはまだ持てていないし、じっくり考えてみても良いと思うのだが、例えば、それを人間のふるまい、もしくはそれを成立させている生活文化としてみてはどうだろうか。

建築はつくって終わりではないし、ただエネルギーを投入し続けて維持すれば良いというものでもないだろう。
そこに、生活文化(例えば循環の中で住み続けるための技術)を持った人間が関わり続けることで、建築のはたらきが続いていく。
そして、その文化は世代を超えて変化しつつも遺伝子のように引き継がれていく。
そして、これによってはじめて建築に生命の躍動感を与えることが可能になりはしないだろうか。

このイメージ、なかなか良い気がするけどどうだろうか。





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