保留し手放すタイミング B325『出現する未来から導く――U理論で自己と組織、社会のシステムを変革する』(C オットー シャーマー,カトリン カウファー)

英治出版 (2015/7/14)
先日、薩摩会議の番外編に参加した際に『musuhi – SELF Inpact Report 2024-2025』という冊子をいただきました。

その中で野崎恭平さんのインタビューに紹介されていたのが、本書です。
薩摩会議では、「この熱量や前に進む力はどこから来るのだろうか」と感じたのですが、どうも、この本(『出現する未来から導く』)がその一つの起点になっていそう。ということで読んでみることに。
まずは保留する
その前に、本屋に言って関連しそうな本が置いていないか探したところ、下記のマンガがあったので先に読んでみました。
『マンガでやさしくわかるU理論』
中土井 僚 (著), 松尾 陽子 (その他)
日本能率協会マネジメントセンター (2015/9/26)
こちらは、分かりやすいビジネスの場面をもとに、U理論の入口を紹介するような内容でしたが、今自分の抱えているプライベートからビジネスへと連続する問題がどこで詰まっているのか、どうすればその詰まりがとれるのか、いろいろなことが見えてきそうに感じました。
U理論では、経験によって硬直化した思想を一旦保留し、その枠組を覆すようにひたすら観察したうえで、自分の外を感じ取り、硬直化した過去の経験などを手放すその先に出現する「何か」に身を委ねるようなプロセスを繰り返すそうです。
このマンガでも主人公が「ダウンローディング」と呼ばれる最初の状態で行き詰まっている場面が描かれているのですが、自分の感じている行き詰まりもまさにこれだな、と感じました。これまでの経験に基づいた思考パターンから抜け出せず、いつまでも自分中心の視点から、言い訳や正当性を延々と探し続けるようなサイクルに陥っていたんだと思います。
まずは保留する。この状態を客観的に見れるようになっただけで十分な収穫だったように思います。
『出現する未来から導く』と薩摩会議
保留の先はまだ未知の領域だし、もう少し知りたい、正確に言えば、この理論と薩摩会議で感じたことのつながりをもう少し理解したい。そう思い、『出現する未来から導く』も読んでみたのですが、驚いたことが2つあります。
その1つが、薩摩会議(もしくはSELFやmusuhiの取り組み)が、本書の実践そのものであろうということ。
先程のマンガは個人での体験をベースにU理論のプロセスの理解を促すことに主題がありましたが、本書はさらに視点を拡げ、個人の変化をきっかけに社会をどう変革できるか、その道しるべを示しています。
様々な具体例は紹介されているものの、本書を何のつながりもなく読んだとしたら、自分とは違う世界の抽象的な話であり、その中から参考になるエッセンスを受け取れればいい、くらいの感想で終わったかと思います。
ですが、本書を読み進めるにつれ、SELF・musuhiが本書をかなり細かい点まで忠実に、そのまま実践しているであろうことが感じ取れました。(といっても、WEBの発信や、先日の薩摩会議、そして頂いた冊子くらいしか接点がないわけですが、それでも十分に伝わってきました)
本書では、社会システムの変化を1.0から4.0の4つのパラダイムで示していますが、4.0では、集まることで、U理論のサイクルをお互いに支え合い、未来に向けて共創的なコミュニティを作り出すことが重要であり、さらに、それを『ホールドする空間』が必要であるというようなことが説かれています。
SELFやmusuhiは、その『ホールドする空間』を鹿児島で生み出そうとしているのだと思います。これは相当なチャレンジだと思いますし、それが形として現れていることにまず驚きました。
U理論とヴァレラ
驚いたことのもう一つは、この理論の原点にヴァレラがいたということ。
U理論の保留する・視座を転換する・手放すという根幹は、どうやらオットーがヴァレラに行ったインタビューの影響が大きいようです。
ご存知のように、フランシスコ・ヴァレラはオートポイエーシス理論の提唱者として有名です。また、私は20代前半にこの理論と出会い、以来ずっと関心を持ち続けてきました。ヴァレラが仏教的な実践に興味を抱き、認知科学との融合を模索していたらしいことは知っていましたが、あまり追いかけてこなかったので、ここで思わぬ形でつながるとは驚きでした。(偶然、古い友人に再開したような感じです)
(ヴァレラへのインタビューはこちらにありました。Googleで翻訳したものもこちら置いておきます。)
機械翻訳からほとんど手を入れていないので少し読みづらいですが、大まかな意味は読み取れるのではないでしょうか。
特にヴァレラらしいと感じたのは以下のフレーズです。
フランシスコ・ヴァレラ: 自分自身を、より現実的に見えるものに絶えず再構築することです。ご存知のように、より現実的になるということは、より仮想的になり、したがって実体も決意も薄れることを意味します。しかし、それはより現実的であり、より現実に即しているようです。
オートポイエーシスは物の状態(構造)を表すのではなく、はたらきそのもの(システム)を表すものであり、はたらきが連鎖的に継続することがシステムをシステムたらしめます。
そんな中、最初にオートポイエーシスの本質に触れられた気がしたのは「オーガニゼーション(有機構成)」に関する以下の記述。
『この言葉も一般的な意味とは異なって使われているので、注意が必要です。ここでは出来上がった組織ではなく、プロセスそのものの動的な連関関係を意味します。つまり、産出物のではなく、産出する働きそのもののネットワークがオーガニゼーションなのです。(p16)』
物ではなく働きそのものを対象とするところにキモがありそうです。
『簡単に言えば、オートポイエーシスとは、ある物の類ではなく、あり方そのものの類なのです。(p100)』
(B147 『オートポイエーシスの世界―新しい世界の見方』 – オノケン│太田則宏建築事務所)
また、河本氏は実践的な知としてオートポイエーシスを考えるうえで、「感触」を起点として捉えています。
氏はオートポイエーシスシステムを直接制御しようとするのではなく、この複合的なシステムの作動状態(ハイパーサイクル)の連動の仕組みに触れることで実践へとつなげる。 このとき、仕組みに触れるために耳を傾けているのが、「感触」である。 感触は未だ量化されていないような度合い・強度であり、行為とともにある。 また、感触は認知能力の一つ(触覚性感覚)でありながら知ることよりも、むしろ行為に関連する。(実践的な知としてのオートポイエーシス B225『損傷したシステムはいかに創発・再生するか: オートポイエーシスの第五領域』(河本 英夫) – オノケン│太田則宏建築事務所)
つまり、自分自身や社会を変革するためには、絶えず自らを仮想的に保留し続け、「感触」に開かれた存在としてはたらきを維持することが必要だ、という風に読み取ると、本書の内容にも親近感が湧きます。
動態再起論との接点
そう考えると、今年はじめに書いた動態再起論との接点も見えてこないでしょうか。
U理論を自分自身を動態として再起動するサイクルとして捉えることもできそうですし、共創的なコミュニティの本質をメッシュワークとして捉えることもできそうな気がします。
逆に、動態再起論に保留する・視座を転換する・手放すというプロセスを当てはめることもできるかもしれません。
『今こそ、現在の自分を脱ぎ捨てて変化せよ!』という物言いは、詐欺的集団が勧誘する際の常套句でもあるので、つい身構えてしまいますが、変化そのものは必須のものです。自分の意思で変化を選び取ることには大きな価値があるように思いますし、本書やSELFのようなチャレンジには大きな可能性を感じました。
個人的にも、手放し変化する、ということについて向き合うべきタイミングなのかもしれません。
(ここ数年の事務所移転から二拠点生活は、自分なりには保留する・視座を転換する・手放すためのプロセスの一環だったようにも思います。)
ヴァレラのこの本も読んでみるかな。
『身体化された心―仏教思想からのエナクティブ・アプローチ』
フランシスコ ヴァレラ,エレノア ロッシュ,エヴァン トンプソン (著)
工作舎 (2001/8/10)