葛藤のダイナミクスとモデル B318『響きあういのちの躍動: 子どもに学んだ和光の保育 葛藤編』(鈴木 秀弘,森 眞理)
鈴木 秀弘 (著), 森 眞理 (著)
ひとなる書房 (2015/7/11)
先日読んだ『育ちあいの場づくり論: 子どもに学んだ和光の保育 希望編』の姉妹編で、こちらは”葛藤編”です。
もう、お気づきかと思いますが、著者が葛藤を抱えながら、目の前の保育環境と向き合ってきたプロセスは、そのまま、今の子どもたちに経験させようとしていること、そのものです。(やっぱり園舎の設計がしたい その1 B316『育ちあいの場づくり論: 子どもに学んだ和光の保育 希望編』(鈴木 まひろ, 久保 健太) – オノケン│太田則宏建築事務所)
この時に『その葛藤の中にこそ、本当の価値があった』と書いたのですが、その意味で、”葛藤編”と称されるこの本もまた、楽しみでした。
この”葛藤編”では、子どもの葛藤だけでなく、保育者の葛藤、あるいは保護者の葛藤が、実際の事例をもとに綴られています。
あらかじめ正解があるものに従うのではなく、自ら環境と関わっていくというプロセスを通じて前進していく。そこには必ず葛藤があります。
それは、子どもだけのものではなく、保育者や保護者も同じようなプロセスに身を投げることで、共に育っていく。ここにはそのようなダイナミクスがあります。
この本のタイトル『響きあういのちの躍動』に込めた思いも、ここにあるのではないでしょうか。
葛藤を抱えながらも環境と関わるプロセス。これこそが”いのち”、生きていることだとも言えますし、人間であることの秘密もそこにあるように思います。幾人もの葛藤のプロセスが、重なり合い、響き合いながらダイナミックに動き続ける。そのような躍動感がこの本から感じ取れました。
また、保育者の役割の一つに、子どもたちの憧れのモデルになる、ということがあります。
そこで二つ目の役割は、保育者があこがれのモデルになるということです。私たち保育者は、大事にしたい生活文化を、自ら生活モデルとなって「生きてみせる、生活してみせる」役割を担います。(『育ちあいの場づくり論: 子どもに学んだ和光の保育 希望編』 p.139)
これは、かたちとしての生活文化をみせることだけではないでしょう。それよりも、「生きてみせる」こと、つまり、自ら、生活文化と向き合いながら動的なプロセスの中にいることをみせることに意味があるように思います。
実際の生活の中で、大人が子どもに葛藤している姿を見せる機会は案外少ないのかもしれません。
現代社会は、むしろ、そのような小さな葛藤を生活の中から取り除き、平坦化していくことで発展してきました。人間は安定を求める生き物でもあるからです。
一方、安定だけでは生きていけないのもまた人間です。(『暇と退屈の倫理学』参照)
さまざまなものが平坦化してきた現代社会においてこそ、環境と関わるダイナミクスの中に身を投じて、それを楽しみに変え、あるいはそこからリズムを見出すようなスキルこそ必要かと思いますし、その姿を子どもに見せることはとても大切なことだと思います。
そういう意味では、葛藤しながらも前進しようとする保育者の姿そのものが、子どもたちのモデルになっているのだと、この本を読んで感じました。
私もそうでしたが、多くの人はこの本で描かれているような、たくさんの登場人物の葛藤が絡み合うような場面に羨ましさのようなものを感じるのではないでしょうか。そうであるなら、そのことが葛藤が単にネガティブなものではなく、意味や悦びと結びついたものであることを示しているのかもしれません。