答えをあらかじめ用意しない B282『開放系の建築環境デザイン: 自然を受け入れる設計手法』(末光弘和+末光陽子/SUEP.)

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末光弘和+末光陽子/SUEP. (著), 九州大学大学院末光研究室 (著)
学芸出版社 (2022/6/10)

昨年、春頃に『環境シミュレーション建築デザイン実践ガイドブック』、『光・熱・気流環境シミュレーションを活かした建築デザイン手法』、そして本書及び『SUEP. 10 Stories of Architecture on Earth』と立て続けに環境系の本が出版されたのでまとめて購入していたもののうちの一つ。

開放系モデルの意義

現在の多くの建築環境は、高気密・高断熱と機械制御による空間が主流となっており、これは、建物を外界から遮断することで、室内環境を整え、発電所でつくられたエネルギーをいかに使わずに暮らすのかという思想に基づいている。これを仮に閉鎖系モデルと名付けてみる。地球温暖化防止のため、高い環境性能が求められる時代において、寒冷地を中心にこの閉鎖系モデルの有効性を疑う余地はないが、生活や住文化を重要視してきた建築家として、性能の追求が数値ゲームとなっていることに対する懸念や、何かが欠落している違和感を持っている人は少なくないだろう。そして、世界は広く、画一的な考え方でものを見ることのに対して疑問も浮かんでくる。(中略)ここで問題提起したいのは、果たしてこの閉鎖系モデルだけで本当に地球環境の問題は解決できるのだろうか、ということである。この問題に対して示唆的なのが、南日本や東南アジアの国々で古くから存在する通風や日射遮蔽を重視した建築である。それらは外部に開き、自然エネルギーを受け入れることで以下に豊かに暮らすかという思想に基づいている。これを開放系モデルと名付けてみる。(p.2)

これは、「はじめに」の一文であるが、大きく共感する。

ここで外皮性能の強化を否定するつもりは全くないけれども、人の想像力を阻害し、「人間の生活世界と、それ以外の世界を分断するような世界観」に対する反省を伴わない思考は根本的な問題への対処になりえない、というのが今の私の考えである。また、そういう思考には個人的にワクワクしない。いわば、思考のプロセスの問題である。(オノケン│太田則宏建築事務所 » 風を考える上での2つの言葉 B279『通風トレーニング: 南雄三のパッシブ講座』(南雄三))

何度も書くように、閉鎖系モデルの技術そのものを否定するものではない。しかし、それがあまりにも当たり前になってしまうことで、結果的に思考停止に陥り、分断の思考形式を温存することになってしまうことには問題があるように思われる。

結果的に閉鎖系モデルに行き着くとしても、一旦はそういう思考形式を離れて開放の可能性を考えてみる。そうすると、最近の私がそうであったようにいやがおうにも自己と環境との関係性を考えざるを得なくなる。「良さ発見型の技術」はそのことをよく表している言葉であった。(そして、この言葉は北海道で生まれている)

答えをあらかじめ用意しない

本書各章のタイトルを列記すると以下の通り。

  • 01 半屋外をデザインする
  • 02 太陽エネルギーを取り込む
  • 03 地中のエネルギーを利用する
  • 04 風を受け入れる
  • 05 自然光を取り込む
  • 06 半地下をデザインする
  • 07 樹木と共存する
  • 08 生態系をネットワークする
  • 09 都市を冷やす
  • 10 水の循環と接続する
  • 11 森林資源循環をデザインする
  • 12 エネルギーをつくる

私とほぼ同世代でこれだけの質と量の実践をされていることに驚愕するが、何がこれほど幅広い実践を可能としているのだろうか。

これは推測に過ぎないけれども、その鍵は答えをあらかじめ用意しないことにあるのではないだろうか。

外部環境も規模や用途もクライアントの意向も異なる中で、模範的な答えをあらかじめ決めてしまわないことで多様な解が現れる。
それこそが建築設計の醍醐味でもある。
それは、ある意味では設計者の自己満足かもしれないが、それでも、多様な解が現れることそのものに、人間もしくは生物に必要なより広い意味での開放性が潜んでいるように思う。

本書の中の対談で

半屋外空間について、早稲田大学の研究があり、それは駅やアトリウムなどあまり空調されていない空間でなぜ人間はそこまで不満に思わないかという研究なのですが(中略)僕はそれを読んで、「自然の中に近い」という感覚を持つと、人間の許容度は大きくなるというふうに解釈しました。(小堀哲夫)(p.74)

というのがあった。(論文はこれとかこれあたりかと。テンダーさんも以前にたような推測をされてた。)

数値ゲームも重要だけども、それだけに囚われないことによってたどり着くことのできる解は無数に存在するはずであるし、そのための方法を追求してみたい。





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