永遠のオルタナティブ B273『方丈記 現代語訳付き』(鴨長明 )

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鴨 長明 (著), 簗瀬 一雄 (翻訳)
角川学芸出版; 改版 (2010/11/25)

前回読んだ本で何度か出てきたので、たまには趣を変えてみようと思い、100分で名著と合わせて読んでみた。
小林 一彦 (著)
NHK出版 (2013/6/21)

方丈記が文学的にどれほど素晴らしいかは私には分からない。ただ、和歌に励んでいた長明が文学的な様々な手法を凝らして書いたもので噛めば噛むほど味がでるのだろうな、とは感じた。
また、長明がどのような思いで書いたのかも本当のところは分からない。ただ、そこから滲み出る人間味が人を惹きつけるであろうことも感じた。

驚くべきは、本書が800年ほど前に書かれたもので、今も読み継がれているということである。私もすっと読めたし、最後の終わり方に心を動かされもした。

本書はなぜ時代を超えて読み続けられているのだろうか。

それは、本書が本流の側になく、いつの時代もオルタナティブであり続けられたからではないだろうか。いわば、永遠のオルタナティブ。
本書に記された具体的な内容そのものよりも、オルタナティブとして今も残り続けているその事実自体が最大のメッセージとなっているように思う。

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ということをさらっと書いて終わりにするつもりだったけど、もう少しだけ。

最近、事務所のご近所さんになったテンダーさんと時々話をする機会があるのだけど、その中でオルタナティブという言葉が何度か出てきて気になっている。

そこで、国際文化フォーラムがテンダーさんの講座を開き、レポートを上げてくれていたの思い出した。

そして僕たちは、「主流こそ正しい」と考えがちな脳を持っている。これは群れで生きてきた人間が、群れで生き残るために獲得した本能といえる部分なのだけど、現代では広告やメディア、教育の力を合わせることで主流を誰かの意向に沿うものに変えることができてしまうので、もはやリスクを伴う本能となってしまった。
だから意識的に、オルタナティブに触れる / オルタナティブで在る必要があると僕は思う。(テンダーさんの「その辺のもので生きる」オンライン講座、はじまるよ! | お知らせ | 公益財団法人国際文化フォーラム)

この講座全体を通して、もしくはテンダーさんの生き方そのものを通してオルタナティブとは何かを考え続けることが示されていると感じるけれども、自分にとってのオルタナティブとはなんだろうか。
最近、そういうことを考えることが多くなってきた。
それは、事務所を移転した動機そのものだと思うけれども、その動機を含めて自分ではまだ分かっていないことだらけだし、本流であることは考えることを免除される、もしくは奪われることなので、少しでも逸れようとすると知りたいこと、考えたいこと、やりたいことが爆発的に増えていく。

一番は労働と時間(これも本流であることによって奪われているものだろう)の考え方がネックになると思うけれども、急がず、焦らず、しかしできるだけ早く、じっくりと気長に向き合っていきたいと思う。

(講座のレポートがすごく丁寧なので、プリントして綴じていつでも読めるようにしてみた。
 ただ、システム思考と交渉の回は一度読んでみたものの、手を動かすワーク系の回は、先に全部読むのは貴重な機会を捨てることになりそうなので、一旦読むのをやめた。実際に手を動かしながら、必要に応じて読んでみようと思う。まずは、火を起こせるようにやってみよう。)





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