かごまちシンポのミーティング
昨日マルヤガーデンズで「第2回かごしままちづくりシンポジューム」の会議があるということでふらっと行ってきました。
その中で清水さんの「移動と滞留」の話が印象的でした。
自分の中でうまく整理は出来ていないのですが、なんとなく掴みどころがなくなりそうな議論の中で何か軸を決めるとっかかりになりそうな、そんな予感のする話でした。
そのあたりについて清水さんがブログを書かれていたのでリンクを貼っておきます。
■清水哲男の「鹿児島・天文館徒然草」 : 第千四百十段「移動と滞留」考え中…
この話を聞きながら、「かごまちシンポっていったい何なの?」「かごまちシンポって結局何をしたいの?」というような批判めいた言葉がこれから先もずっと付いて回るんだろうなー、というようなことを考えました。
最近自分の周りのことを振り返ってみても、この疑問・批判に対して、これでもかってくらいシンプルに、明確に、分かりやすく答える言葉を見つけていく作業がきっと大事になってくるんじゃないかと思いました。(必ずしも結論である必要はないかも知れませんが)
その言語は主催者側が活動を続けていく上での指針にもなると思いますが、自分たちが理解しているだけでなく、なんとなく遠目で眺めている第3者にも届くようなものであった方がいいように思いますし、学内や部外者に協力を求める上でも必要になってくるのだと思います。
近々、ブログのようなものを起こしてくれると思いますので(サイトがあれば、この記事からでもリンクを貼れたんだけど・・・)、その時には上の疑問に対して簡潔な言葉で答える記事を書くことに是非チャレンジして欲しいなと思ったりします。
また、「概念の範囲」という言葉もすごくとっかかりのある魅力的な言葉だと思うのですが、まだ自分の中では整理できていません。うーん、何かが整理できそうな匂いがぷんぷんするんだけど。。。
僕は一つ前の記事で、生活風景のデザインというような言葉を使いました。
都市交通を「移動と滞留の手段」とする捉え方がまずあるとして、一つ視点を変えて、その手段の結果としてどのような生活の風景が現れるのか、という視点もあるように思います。
車を便利だとして優先させて言った結果、生活風景が貧しくなってないかな、というのが一つ前の記事だったわけですが、こういう視点と「移動と滞留の手段」という視点の関係がどうなのか、まちづくり・活性化、概念の範囲・平面の範囲、というような言葉の中、これがどう整理できるか、いまいち分からなくなってるわけですが・・・。
ちょっとゆっくり考えてみたい気がします。