エイリアンから生活を取り戻せ(とか)
昨日久しぶりにMさんと話をして、個々の設計についてもいろいろ刺激になったのですが、トランジットモールなどの話をしながらふと、昔書いた記事を思い出しました。
■オノケン【太田則宏建築事務所】 » 自動車エイリアン説。
もし自動車が実はエイリアンで、人間が車を利用しているように見えて実は車が人間を利用している、と思って景色を見ると妙にしっくり来たのです。 車が人間を操り、道路と住居(駐車場)を作らせ、食料(燃料)を補給させ、おまけにメンテナンスや世代交代までも任せる。
※車社会の善悪の話ではなく、生活風景のデザインの話だと思って読んでください。僕も少なからず車社会の恩恵を受けていますから。
天文館のトランジットモールも魅力的なのですが、毎日暮らしているこの場所はもっとどうにかならなかったんだろうかと、一生活者として思うことがよくあります。
毎日、保育園まで歩いて子供たちを迎えに行っているのですが、その帰りに二人の子供と道路を歩くのは緊張を強いられとてつもないストレスを感じます。
さっきの話の続きで、エイリアンに侵略されてる妄想をしながら、例えばいくつかのエリアの地図を【ヒトのための空間】と【車のための空間】とに塗り分けて面積比を出したらどんな結果が出るでしょうか?
例えば5階建ての1階のピロティが駐車場のところは4:1で按分する方法があるかもしれませんが、いっそのこと、その平面的なエリアがヒトのための空間として活き活きしてるか、車のための空間として活き活きしているかで、えいやとどちらかに塗り分けた方が面白いかも知れません。
そうして、出てきた結果が仮にヒト:車=4:6だったとして、それを7:3にするにはどうすればいいだろうか、と考えてみるのは面白そうです。
通過交通用の道路以外の一分を歩行者専用にしたり、それが現実的でなければ、ヒトの生活よりのコミュニティ道路にしたり、はたまたソフト的な部分でOSOTO的に活用し、特定の日だけヒト:車率を変えたり、または、人の生活空間をより活き活きとしたものにして車よりも人の空間と感じられるようにしたり、と方法はいろいろありそうです。
自分の住んでいる街を一度、エイリアンに侵略されている街として想像しながらヒト:車率はいくらぐらいだろうか、それを変えたらどんな生活ができるだろうか、と想像しながら歩いてみると面白いかも知れません。
※再度書きますが車社会の善悪の話ではなく、生活風景のデザインの話です。車好きの方ごめんなさい。