W029 『魅惑の長田町をあるく』
予定が合わなかったり雨で中止になったりとなかなか参加できてなかったのですが、久しぶりにかごしま探検の会のウォークラリーに参加しました。
今回は県民交流センターからスタートし近くにありながらなかなか足を伸ばすことのなかった長田町を散策。
横山安武は役人の腐敗を憂いて集議院に十条の意見書を掲げ切腹をした人だそう。いつのときも役人の腐敗はあるものだ。今はこういう気概のある人はいるのだろうか。
2-4. 椋鳩十邸宅跡・椋鳩十の部屋から見えていたであろう桜島。
東川さんにつづいて”みたけさん”からも解説がありました。(僕は存じ上げていなかったのですが、NPO法人かごしま文化研究所の三嶽公子さんだったのでしょうか?)
椋鳩十は1947年に市立図書館の館長になったそう(このころ作家が館長になるのが流行ったそうです。)
このころは全国でも鹿児島・宮崎は最も図書館に対する予算が豊富な県だったそうで、椋鳩十の働きも大きかったよう。(戦後の生活に図書を通じて潤いを与えたいという思いが強かったそうです。)
5-11. 長田神社
もともとは福ヶ迫諏訪神社という名だったそうだけど、明治時代に神戸の長田町にある神社と同じ祭神 ということで長田神社と改名されたそう。つまりこの長田町という名の由来は神戸から来てるそう。へぇ~。
12-15. 興国寺墓地
染河彦兵衛、徳田太兵衛、伊地知季安、汾陽理心の墓などをまわる。他にもいろいろ見所があるそうだけどタイムオーバー。
年配の参加者が多いのですが、かなり坂の多いコースをなんとか歩ききっていました。いつも思うのですがこういう年配方が歩きながら話しているのをこっそり聞いてると、生活に根付いた面白い話がいろいろ聞けて感心してしまいます。
なぜ参加するか。
僕は学生のころは完全に理系だったのでかなりの歴史音痴です。
なのでイベントの面白さの100分の1ぐらいしか伝えられていないと思います。
マティックさんの御友人の日記のように書ければどんなにいいだろうか、と思いますが急には無理ですね。もっと含蓄のある方が聞けばもっともっと楽しめると思うと少し残念でもあります。
では、歴史の苦手な僕がなんで参加しているか。
それは、講師の東川さんの魅力というのもありますが、僕自身、いずれは地域性や歴史性といったものを感覚として身体化したいと思っているからです。
今の建築、特に家づくりというものを考えた場合、地域性や歴史性といったものを切り捨てることによって成立している部分というのが多分にあると思います。
そういうものを建築に取り入れるのはかなり困難なシステムになってきてしまっているし、僕も含め今の人達はそういう切り捨てたものを扱うのが苦手になってしまっていると思います。
実際、そういうことを考えず全国的に流通している工業製品だけで建物を作るのが一番楽で、机上だけでかなりの部分ができてしまいます。
しかし、地域性や歴史性というものを扱おうとしても、机上でいきなりできるものではありません。
おそらく自分の感覚として身体化していなければうまくは扱えないと思います。
そのために、2年や3年と言うスパンではなくて長い目で見て少しずつ、少しずつ、そういうものが身体化されればいいなぁと思って無理をしない範囲で参加させていただいているのです。
(イベント、イベントがその都度一回性の ものですので、毎回参加しないともったいないという思いもあります。
ただ、続けていくことが肝心だと思うので無理をしない範囲で、ということにしています。)
その後
そのあと、フリーペーパーのunder’s highを発行されているチャビンさんの店に寄らせていただきました。
地味な格好だったので店に入るのはかなり勇気が要りましたが、思っていたとおり気さくな方でした。ほっ。(あと、チャビンさんのブログにあるライブ映像に写っているサモアの怪人というゲストが友人のM野氏に似ていたので気になっていたのですがどうやら別人だったようです。ちなみに、 サモアの怪人マーク・ハントがK1で優勝したときはあまりにM野氏に似ていたので人ごとの気がしませんでした。)
応援していますので under’s high頑張ってください。(僕もいずれ広告を載せたいなぁ)
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