建築の自立について

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twiiterで知り合って以前から一度お会いしたいと思っていた高知の建築士の方が鹿児島に来られるということで週末に鹿児島を案内させて頂いた。その時にブログを再開したと聞いたのでそれを読んだり、本人とお話させていただいた中で考えたことを書いておきたい。

以前、氏のブログを読んで

とりあえず、「建築、お前自立しろ。社会性なんてそこからしか生まれないぜ」と言ってみる。とりあえず。(オノケン【太田則宏建築事務所】 » 「建築の社会性」ってなんだろう)

と書いたように建築が自立しているとはどういうことか考えてみたいと思っていたのだが、、氏のブログの続きを読んでみると自立ということがテーマになっているようで参考になった。

建築の自立と矛盾

建築について:丹下健三について03「丹下健三は瀬戸内に何を残したのか」

自律した秩序や形式を持ちながら、その場所に根付き、そして静かに「誇り」をみんなに植え付けていく。そういう相反したものを結びつける丹下建築だからこそ、このように芳醇な空間と時間をつくり得ることができたのだろう。
だから僕は「丹下健三は瀬戸内に何を残したのか」という問いに対しては、このように答えたい。 その場に根ざすことによって静かに醸成された「誇り」と、自律し超越性と矛盾を孕み、いつまでも定点を与えない秩序だ、と。

詳しくは引用元の本文を読んでいただくとして、建築が自立することにはそれ自体だけではない何かが必要な気がした。
では、建築が自立している、と言えるためには何が必要なのだろうか。

ここで出てきた「矛盾」は、坂本一成が「人間に活気をもたらす」ために「象徴」を成立させようとし、そのために定着と違反を同時に用いることにも通じるように思う。(■オノケン【太田則宏建築事務所】 » B170 『建築に内在する言葉』
丹下健三が残したものがそうであるためには矛盾のようなものが不可欠であったのではないか。さらに言えば、矛盾のようなものは自立と並走すると言うより、目指すべき自立の成立には不可欠なもの、自立の一条件と捉えたほうがしっくり来るような気がする。

また、鹿児島を案内する際、氏とともに廻った建築のうち稲盛会館となのはな館で感じたこともヒントになるような気がした。

建築の自立と他者

稲盛会館はその執念ともいえる仕事を見ると「誇り」を根付かせるのに十分なもののように思えるが、私個人の感覚ではそのような存在になっているように感じない。
なぜそうなのかと考えてみると、一つの原因はこの建築の建ち方にあるのではという気がした。この建物は交通量の多い通りの角に面していながら、鹿児島大学が管理する敷地内に囲われるように建っており、利用されていない多くの時間は周りに人気がない。近くを通っても心的な距離をどうしても感じてしまいそこから何かを感じ取ることを遮られているように感じる。
これは周りから切れているということで自立に近づいているようにも思えるが、そこで感じるのは「自立」ではなく「孤立」に近い。
これが仮に(用途上建物内部は難しいとしても)会館の周りだけでも周辺に対してオープンになっており、そこに何らかの人の気配やそれを見るものと同時に流れている時間や空気を感じられたとしたら人々にとってまた違った存在になれたのではないか、という気がする。
庁舎と違い管理上の問題があるのは分かるが「誇り」の素養を持っているがためどうしてももったいないと感じてしまった。
「孤立」ではなく「自立」しているということは他者から切り離されることではなく、むしろ他者の存在によって初めて成り立つものであるのではないだろうか。とすると、建築の自立を考える際にも他者との関係性を考えることは必須であるように思う。

建築の自立と時間

なのはな館は初めて実際に訪れた時に何か自分の身体にフィットするような居心地の良さを感じ(雑誌で見た第一印象とは逆に)個人的には好きな建物であったが、管理費の問題等で一部を残し運営がストップしていた。(さらに、今後本館と体育館以外が解体され県から市へと譲渡されるようである。)
これは他者との関係を継続できなかったため自立することができなくなったとも言えそうだが、運営がストップした後に訪れると、周囲の草木が生い茂る中静かに佇む建物と、そこで遊ぶ子供たちやゲートボールをしている老人たち、散歩している人々が妙にしっくり来て、皮肉にも廃墟のような存在になることで人々の生活の中の風景になっているように感じた。(ただ、当日は残念ながら国文祭の会場になっていたからか草木が綺麗に刈り取られていてただ寂しい風景になっていた)
もちろん巨額のお金を注ぎこんで維持できない建物を建ててしまった責任はあると思うのだが、このまま何十年と時間を経ることできっとさらに風景として人々の生活や記憶になじみ、自立した存在となれるのではという気がする。それは機能という意味とは異なった視点でこの建築が力を持っているからだと思う。(なので、個人的には耐久性がなく管理の必要な部分のみ解体し、コンクリートなどの部分は残し風景として生かしてくれれば軍艦島のように価値が後からついてくるのではと思っている。)

再び氏のブログより

僕は建築というのは本来、時間を超える普遍性、あるいは超越性のようなものを持っていると思っていて、そこで建築は単純に発注者の要望であるとか、経済性や構造的な整合性だけから導かれるものではないもので成立していて、だからこその普遍性・超越性なんだと思うんだけど、まさにこの建築からはそれらを感じるのである。そしてこれは建築家の恣意性からは一番遠い建築の現れである。誰に媚びるのでもなく、ただ自立した建築。時間を超える建築にはそういう特徴があるのかもしれない。(建築について:「津山文化センター」時間を超える普遍性、あるいは超越性)

最近よく思うことがある。形の珍しさや端正さというのはインパクトはあるけれど、美しさの耐久性というのもは薄いのかもしれない。端正さや洗練された形態も究極的なところまでいけば充分時間を超える強度を持ちえるのだろうけど、中途半端なものはあっという間に消費されてしまう。しかしその中でもこの建築をはじめとして、菊竹氏の建築には消費されない建築の力強さがあるように思う。この違いは何なのだろう。(建築について:強度のある建築のかたちについて)

名建築とされる建築が次々と解体されている現状を見るとどうしても、建築の時間、というものを考えざるを得ない。そのことと他者との関係性を含めた自立ということは深く関わっているように思う。
そう考えると、当たり前のようだが物理的・経済的・機能的な耐久性、さらには愛着のような心理的な耐久性というものも建築が自立するために必要なのかもしれない

住宅の自立

翻って、自分が多く直面している住宅について考えてみる。
今のような核家族が一代で建てるような住宅では、予算にも限りがあるし、数十年後誰がどのように使っているかは分からない。100年後の姿はリアリティを持ってイメージすることはなかなか難しい。氏は住宅の重要な条件として「死を見送れること」と言われたが、現状ではそこですらイメージが困難である、と言うのが正直なところである。(だから、公共建築のように大きなスケールで時間を考えられるのが羨ましくもある。)

そのような住宅のスケールにおいて、自立・他者・時間のようなものはどう考えられるだろうか。

5年前に行った模型展でのトークイベントの音声を聞き返してみたのだが、その時も「家がそこに住む人に従属するものではなく並列の関係になれたらいい」というようなことを言っていた。今回の言葉で言えばこの時から自立ということについて考えてきたように思う。
住宅の100年後をイメージすることは難しい。だけど、住宅スケールの時間であってもその時間が公共的な時間の質を持ち、そこに住む人や周囲の人に対して生活とその背景となる風景、そして記憶のようなものを提供できるとすればその役割を果たせたと言えるのではないかと考えている。
そうであれば、たとえ住む人や建物の用途が変わったとしても永く使われるかもしれないし、多くの建物がそのように存在していればきっとその場所は豊かな場所になるように思う。

そのためにも、建築もしくは住宅が自立するためにはどうすればいいかを考え続ける必要があるように思う。





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