B022 『驚異の百科事典男 世界一頭のいい人間になる! 』
A・J・ジェイコブズ (2005/08/03) 文藝春秋 |
ある雑誌編集者が1年間をかけてブリタニカ百科事典(全32巻・3万3千ページ)の読破した記録。
某ブログで紹介しているのをみて興味を持ったので買ってみた。
イミダスなんかを通して読んでみようと頭の片隅に浮かんだことはある。
だけども、興味の持続しないことに対しては猫ほどの記憶力しかない僕は、あまりに無駄なので本気で考えたことはない。
しかし、3万ページを超える百科事典を読みきったときに何か突き抜けたものを得ることが出来るのか、それともただの無駄骨に終わるのか、そのことにはすごく興味を魅かれる。
だからといって自分でそれを試そうとは思わないのだが、700ページを超えるこの文庫本を読むことで、それをプチ体験することができるのでは、という期待に胸を膨らませて読み出した。
この本を読むことが退屈な作業にならないかという不安もあったが、最後に何が得られるかの興味と、内容がそれなりに面白かったのとで楽しく読めた。
膨大な時間を消費し、妻には「百貨事典未亡人」といわれ、紙の上ではない本物の体験に対して引け目を感じたり、1年間が無駄に終わる恐怖と戦いながら、何かを成し遂げるために読み切ったのだが、その間の著者の心の動きが面白い。
ちょっと引用してみると、
「わたしが言いたいのは、あなたは生身の人間との交流ができなくなってないかってこと」(p.138)
なんて、妻に言われたりする。これはつらい。
僕もこれを打ち込んでいる今こんなこと言われやしないかとひやひやしている。
最後にこれをひっくり返して堂々と出来るほどの何かを見つけないとやりきれない。
ひょっとしたら僕は(中略)とうてい食べきれないものにかじりついてしまったのではなかろうか。(中略)ぼくは一体なんだってこれをいい考えだと思ったのだろう?(p.175)
『ブリタニカ』の旅を終えるとき、これ以上に知恵のある言葉を僕は手にしているだろうか?すべての知恵の精髄は何かと訊かれたとき、ぼくはどう答えるだろう?』(p.177)
って弱気になったり、
本を読んだくらいで世界の秘密が学べるわけじゃない。フローベールとベンダー先生の言うことには一理ある。額面どおりに受け取れば、僕の試みは奇行すれすれだ。しかし、である。それでもこれは一つの探求であって、それなりに意味があると思うのだ。ぼくは今まで何かを探求したことなんてない。だからどんな結果になるか、何が発見できるか、わからないじゃないか。(p.187)
と、自分を励ましたりする。
ときどき思うのだが、ぼくもこの喩え話の盲人みたいなものではないだろうか。文学や科学や自然について書かれていることを読むだけで、実際に経験してみることはない。ひょっとしたらまちがったトランペットの音を聴いているのかもしれない。それより世界に出て行って、実際に経験するほうが、有意義な時間の使い方ではないだろうか。(p.414)
分かる。分かる。実際の経験の方がずっと健康的な感じがする。
だけども、それだけじゃないものもあると僕も自分を励ましてみる。
僕は事典読みの中毒になっている。もっとも、たいていの中毒者がそうであるように、惹きつけられると同時に嫌悪も覚えているのだが。(p.439)
始めのころは、活字漬けになると現実との関係がおかしくなるんじゃないかと心配だった。ジョン・ロックの盲人が赤という色の概念についてうんと学びながら、現実の赤を知らないのと同じことにならないかと。実際、そうなるのかもしれない。でも、その反対の効果も得られるのだと今は思っている。世界との絆を強め、世界に脅威の念を抱き、世界を新しい目で見られるようになると。(p.489)
と、すこしづつ何かを掴み始める。
ラストは「期待通り」かつ「期待はずれ」であったが、僕はとてもすがすがしい気持ちになった。
百科事典を読破したからといって生活が急変するわけではない。
ただ、世界がほんの少し良く見通せて、世界をほんの少し愛せるようになる。
そして、妻との楽しい夕食、何気ない生活がほんの少し、より愛おしく感じられるようになる。というだけのことだろう。
1年を掛けて得られたこの「ほんの少し」は著者にとって大きな財産であろう。
僕は、700ページほどの文庫本でその「ほんの少し」をほんの少しお裾分けしてもらったわけだ。
読んでよかったと思う。(これを読んでいる人は、『「ほんの少し」をほんの少し』をほんの少し・・・)
なお、これを読んで僕の妻に本を読むことの正当性を論じようと思っていたのだが野暮なのでやめた。
ちなみに本の題名はもとの”The Know-It-All(知ったかぶり)”のほうがずっといい。「○○男」はなんとなくみえみえだねぇ。