B023 『ルイス・カーンとはだれか』
香山 寿夫 (2003/10) 王国社 |
カーンについて考えようと思って図書館で借りた本。
カーンの本というよりは、カーンに思いを寄せる香山壽夫の本である。
著者の香山であるが、僕が大学生のころ彼の書いた『建築意匠講義』を借りてきて、大学のコピー機で全頁コピーをしたのを懐かしく思い出した。
大学の授業に不満をもっていたこのころ、僕がはじめて空間の捉え方などを学んだのが『建築意匠講義』であった。
そして、その中で香山によって語られていたカーンの言葉が僕がカーンの思想に触れたほとんど唯一の経験である。
さて、この本であるが、思想の紹介という点では『建築意匠講義』とダブる点も多い。
が、香山個人としてのカーンに対する思いをより強く伝えようという気持ちが伝わる内容だ。
この、本を透してのカーンの印象は、宗教的な人、言葉と行動の人、という感じだ。
僕の受けた印象では、カーンの言葉は若干大袈裟で押し付けがましく感じる。
なんとなく重いのだ。
それを重く感じるのが良いか悪いかは分からない。
しかし、思索を重ねた末のその言葉を重く感じる自分には少なからずショックを受けた。
言葉については別の項で少し考えたが、おそらくカーンの言葉は思考のための言葉で、カーン自身のためのものなのだ。(コルビュジェの言葉とは対照的に)
そして、その彼自身の思索の跡を追うのが僕にはおそらく億劫なのだ。
僕はカーンではない。
(そういう感覚は例えばアトリエ・ワンなどの若手の言葉の使い方にも感じる。彼らの発見する『言葉』はすごく個人的な印象がある。)
香山はカーンを『共通感覚』のうちにある、という。僕の印象とは正反対だ。
そのような『共通感覚』は今では幻想だと思われている。
それでもなお、そのようなものを信じて疑わず、真っ直ぐに進む姿が僕には宗教的に映ったのだが、僕にはそれがうらやましい。
僕にはいまだ見えていないし、「それが建築に対する誠実な姿勢だ」と言われればなんら返す言葉がないからだ。
「オーダー」「フォーム」「ルーム」「光」「沈黙」といったカーンの言葉は魅力的だ。
しかし、僕にはやはりそれらの言葉は基本的にカーン自身のものだと思う。
僕も、カーンのような言葉が紡げるようになりたい。
追記
「億劫」と言うのは言い過ぎた。
疲れていたみたいだ。
カーンの言葉は示唆に富んでいるし、そうやって思索することこそ必要だ。
ただ、カーンの思索にはなんとなく物悲しさを感じる。それは、映画の試写会の映像のみの印象を引きずっているからかもしれない。
でも、おそらくその印象は誤解なのだ。
カーンの思索は最後に「喜び(joy)」へと連なる。
この時代にカーンのように孤独な思索を重ね、作品を残してきたのはやはり偉大であるし、カーンの思索に跡に身を任せようとすることはやはり快楽でもあると思う。