〇 はじめに

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目の前の建物を語る言葉

今、目の前にある、その建物。

その建物に、どんな意味や価値があるだろうか。また、それを語る言葉を持っているだろうか。

多くの建築家と呼ばれる人々は、建物を設計する際に、または、ある建物に意味や価値を見出した時に、あるいはその建物が意味や価値を持つことを期待して、その建物のことをわざわざ「建物」ではなく「建築」と呼んだりする。そして、その建築の意味や価値をどこまでも追い求める。

だけども、建築家たちが切磋琢磨して追い求める、その建築の意味や価値は、多くの人々に認められていると言えるだろうか。

『良いものをつくれば、それは必ず人々に伝わるはずだ。』

もしかしたら建築家はこう言うかもしれない。それはある面で正しいと思う。だけども、やっぱり多くの人々はその建物を語る言葉を持っていないし、その素晴らしさに気付くことなく通り過ぎてしまう。

まちの景観や、歴史的建物の保存・活用などが、限られた人たちだけの話題となってしまい、なかなか有益な議論や結果に結びつかない、ということの根底には、殆どの人の中には、建築という概念、または建築の意味や価値を語るための言葉が存在していない、ということがあると思う。

建築は、私達の生活する環境をかたちづくるものであって、生きていくうえで大切な要素だと思うのだけど、ほとんど人に語られてこなかった。まずは、誰でもが建築の意味や価値について考えられるような、言葉や状況を生み出す必要があるんじゃないだろうか。

そこにどんな出会いがあり、何が得られるか、が、その建築の意味と価値である。

唐突だけども、「そこにどんな出会いがあり、何が得られるか、が、その建築の意味と価値である。」という説を、建築を考えるための一つのモノサシとして提案してみたい。
そして、そのモノサシが、、多くの人々が建築の意味と価値を考えたり、議論したり、つくったり、守ったりするための礎になることを夢想してみたい。

例えば、身の回りのの建築の中にどんな出会いが隠れているか探ってみたとする。

すると、たくさん見つけられる建物、ほとんど見つけられない建物、いろいろ出てくるだろう。好きなまちや建物にどんな出会いが含まれているかを思い浮かべて、目の前の建物と比べてみても良い。身の周りの環境に以外な魅力をみつけるかもしれないし、もしかしたら、そこに含まれる出会いの薄っぺらさに愕然とするかもしれない。
(その前に、出会いって何のこと?と思うかもしれない。それは順番に書いていくので、とりあえずは、その場所で自分の心や行動に何かしらの影響を与えるもの、くらいで捉えておいて欲しい。)

二十世紀は、出会いをなるべく抑制し、均一なものとすることによって、住環境の工業化や商品化を進めてきた。工業化や商品化は、均一であることを善とし、予期せぬ出会いはそれを乱すものとして悪者扱いされ慎重に排除される。その流れの中で、多くの出会いの機会が失われ、生活がのっぺりとしたものになってしまったように思う。

だけども、それが良いことなのか悪いことなのか、というのは簡単には言えないかもしれない。ある面で、人はそれを求めて来たのだし、風向きは変わりつつあっても多くの人は今もそれを求めている。どんなものにも得るものと失うものがあり、何かの価値があるのだと思うし、人に求められてきたものにはそれなりの理由があるはずだから。

建築の意味と価値を信じたい

善悪の判断は難しいけれども、それでもなお、「そこにどんな出会いがあり、何が得られるか、が、その建築の意味と価値である。」ということ、建築には意味と価値があり、それを考え、語り、つくり、守ることが必要だ、と言ってみたい。

それは、建築というものの価値を肯定的に捉えて信じたい、という職業的な願望もあるけれども、いろいろ調べているうちに、そんな風に一度言い切ってしまうことによって、はじめて描ける世界観や倫理観があるんじゃないかと思えてきたのだ。

ここで書こうと思っていることは『Deliciousness おいしい知覚』の本文、及び引用元の文献が基にあるけれども、ここでは、そこで使われているような専門的な言葉や引用をできるだけ使わずに、なるべく簡単な言葉で書いてみたいと思う。

そして、それが誰かが建築の意味や価値について考え始めるきっかけになれば、と思う。




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