B121 『ファインマンさん 最後の授業』
レナード ムロディナウ (著)
メディアファクトリー (2003/11)
チャビンさんのNoseGlassでかえる文庫したもの。
物理学の最前線という想像力の最も要求される場所の様子が垣間見れて面白かった。
ファインマンさんは著者との会話の中で「それで君は?」というように 自分自身がどう感じたかのかを何度も聞き返す。
そこにファインマンの自由さと創造性が垣間見える。
想像力(創造力)を要求される場では 、小さな雑音にもすぐにかき消されそうな内なる声を聞き取ることが求められる。ファインマンはそれを何事にも好奇心を持って楽しむスタイルとして確立している。(おそらく他の学者もそれぞれのスタイルがあるのだろう)
・・・これは全て自己満足だ。ファインマンの焦点は内側に向き、その内なる焦点のおかげで、自由になれたのだ。
ファインマンさんの何事も自由に楽しむスタンスを見て、『子どものための哲学対話』の『根が明るい人っていうのはね、いつも自分のなかでは遊んでいる人ってことだよ。・・・なんにも意味のあることをしていなくても、ほかのだれにも認めてもらわなくても、ただ存在しているだけで満ちたりているってことなんだよ』っていう一節を思い出した。
一方でファインマンさんは
個人的なレベルで自分自身を理解するなんて、どういう意味かも分からないね。よく、みんな、「自分がどういう人間か知るべきだ」なんて話してるのを聞くけど、何の話かさっぱりだ。
とも言う。
ファインマンさんの『内なる焦点』と今時のいわゆる『自分探し』、違いの決め手はどこにあるんだろう。
やっぱり内と外との違いだろうか、それともただ、結果を出せたかどうかの違いなのか。
あと、何より気になるのは、この本の途中のページにべったりとキスマークが付いてることと、裏表紙と背表紙にどうも図書館のバーコードを隠すような形で『リサイクル本』といういかにも手作りの紙が貼り付けられていること。こいつは僕の手元に来るまでどういう道をたどってきたんだろうか。