B123 『ウェブ人間論』

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梅田 望夫 (著), 平野 啓一郎 (著)

新潮社 (2006/12/14)



先日川内でかえる文庫した本。
実は梅田氏の『ウェブ進化論』は読みそびれてしまったのと、各所で言及されているのでなんとなく読んだ気になってたのとで未読。近々”前提”としては読んでおこうと思っているところ。

本書は1960年生まれの梅田氏と、僕と同じ1975年生まれの平野氏との対談なのだが、梅田氏の方がウェブ世界の変化を不可避なものと受け入れてそこでサヴァイブしながら楽しもうと吹っ切れているのに対し、平野氏の方がウェブとリアルの世界の変化に慎重な態度をとっていたのが印象的だった。

新しい技術などによって生活習慣や価値観などが変化し、それがやがてスタンダードとなっていくのは人類が繰り返し経験してきたことだし、梅田氏にはおそらくそういう歴史を踏まえたうえでの人間に対する最終的な信頼のようなものをもっているのを感じた。逆に平野氏の方がその変化を若いころに生々しく経験したのと、職業柄、個の人間のより深くまで入り込んでしまうため、より危機感のようなものを感じてしまうのかもしれない。

あとがきで梅田氏が

平野さんは、「社会がよりよき方向に向かうために、個は何ができるか、何をすべきか」と思考する人である。(中略)私はむしろ「社会変化とは否応もなく巨大であるがゆえ、変化は不可避との前提で、個はいかにサバイバルすべきか」を最優先に考える。

と書いているがこの違いはどちらが正しいということではないにしても本質的な違いがある気がする。

僕がどちらの感覚に近いかというとリアルなものに対する危機感という点では平野氏に共感する。しかし、ネットの可能性という点に限ればどちらかというと楽観的かもしれない。

平野氏が

実は僕たちが公私の別を言うとき、そこで言う「公」というのは、僕たちがどんな人間であるかというのを表現できて、それを受け止め、記録してくれるかつてのような公的領域ではなくて、経済活動と過度の親密さによって個性の表現を排除してしまっている社会的領域に過ぎないのではないか、ということです。そうした時に、「ウェブ」という言葉でアレントが表現したような、人間が自分自身を表現するための場所として、いわば新しい公的領域として出現したのが、実は現代のウェブ社会なんじゃないかということ僕はちょっと感じているんです。(平野氏)

というようにアレントを引用していたが、アレントの言うような”奪われてしまった公的 なもの”をウェブが取り戻す可能性は大いにあるように感じた。

また、僕はウェブの世界にはわりと楽観的だけれども、単純にリアルな世界からリアルさが奪われていくのがやっぱり心配だ。(例えば町並みや触れる素材や温度や匂いや・・・・職業柄そんなことが気になる。)

ウェブをサバイブするにしたって、リアルな世界での土台のようなものは必要だろう。リアルな世界ですでにウェブをサバイブするための土台のできている人・世代はいいかもしれない。だけども、これから育つ子供たちがそういう土台を獲得できるかというとだんだん心配になってくる。(そんな土台は新しい世代には不要だ、とはちょっと思えないし。)

ウェブの進化によってリアルが不要になるのではなく(子供たちにとって特に)より重要になるのではないだろうか。

ただし、もしかしたら逆にウェブによってリアルに対する興味や接点が増すのではないかとも思っている 。

そう願いたいし、 そういう接点をウェブに編み込んでいくのが僕たちの世代の使命の一つかもしれない。





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