B063 『建築の幸せ』
著者は社会学科卒で、生活環境プロデューサー、建築ジャーナリストという肩書きを持つ。
こういう「肩書き」というのはあんまり好きじゃないが、多くの人の中心に立ち、物事の方向性を決めるような人は必要である。
多くの人が共感できるビジョンを示して、目的を共有しなければその場しのぎの連続になってしまう。
(本来なら行政がプロとしてそういう能力を持つべきだと思うが)
具体的な事例がたくさん紹介されておりとても参考になる。
しかし、なんとなく全体を通してぎこちなく感じる部分があった。
その違和感の原因はどこからくるのか。
それは、著者がクリエイターではなくプロデューサー・アドバイザーだということに関係があるように思う。
建築は社会にとっても幸せなものであるべきだ、というのは全くその通りだと思う。
しかし、それ以外の、それを超えたもの、例えば言葉にならないような空間性というものを許容しないような印象を彼の文章からは受ける。
ものをつくる過程ではおそらく膨大な思想的な無駄が生まれていると思う。その無駄が多ければ必ずよいものが出来るとは限らないが、そういう膨大な無駄から何かが生まれることがあることも事実だろう。
そういう無駄のつけいる隙を感じないのだ。
「いや、あれは失敗だとも思うけど、そういうことの先に可能性がありそうな気が・・・するんだけどなぁ・・・」って思う。
ただ、建築家がそういう言葉にならないものに逃げ込みがちで、現実的な部分や社会性から目を背けがちであったというのも事実。
建築家は言葉にならない部分は建築のプロとして実現しながら、社会性等とも正面から向き合わなければいけないと思う。
そういう点で、彼が独自の空間性も持っていながら現実も引き受けようとしている30代の若手に期待しているのも分かる気がする。
タイトルから期待していたようなカタルシスは得られなかったけれど、具体的なヒントには溢れていた。
しかし、こういうことは具体的な実践の中からしか答えは見出せない。
実践の機会を得なければ、具体性を引き受けられるような力はつかない。
ちょっと焦るな。