B013 『神のかけら』
スコット アダムズ (2003/03)
アーティストハウスパブリッシャーズ
スコット・アダムズは「ディルバート」で有名な漫画家。
若い配達人の僕と、配達先で知り合った老人との問答を中心とした話である。
「神」があることに挑戦した結果、この世は「物質の最小の構成要素」と「確率」の2つの「神のかけら」で成り立つことになった、という説をもとに、神やこの世のことについて問答を繰り返す。
著者が序文で「フィクションの形で包んだ思考的実験」と呼んでいるように、ある仮説によって世界を描いてみせるひとつの実験という名の遊びである。
たとえば、重力に変わる論を展開した後に、重力の存在を前提とした話をしたり、キリスト教的な「神」がそもそも前提であったり、後半は我慢しきれずに多少説教くさくなったりと、時々つっこみを入れたい部分もあった。
しかし、『これは思考的実験なんだ』と思い直してみると楽しく読めた。
その「楽しく」読めた感覚は僕にとって重要だ。
すぐにつっこみを入れたくなるなるのは、悪い癖で、懐疑的になることで柔軟になりたいと思うあまり、逆に頭が固くなっているようだ。
日常でも、もっと素直になったほうがいいときにも無駄に反論を考えたりと頑なになってしまう。
そんな頑なな脳味噌を指摘されたような気がする。
訳者が
『むしろ、読者に「知の自立」を求めている。「みんながそう言うから、そうだと思う」とか、「世間でそう言われているので信じる」とか、だらしなく他にもたれかかったような思考回路ではいかんのではないか、ということである』
とあとがきで述べている。僕もこれには賛成である。
しかし、僕が気付かされたのはこれとは逆に「みんながそう言うから、そうじゃないはずだ」という、あんまり穿った見方ばかりでもいかんのではないか、ということだった。
こういう「遊び」は素直に楽しめる余裕が欲しいものである。
しかし、序文から、これは「思考的実験」であり、精神年齢が55歳以上の「新しい考えに抵抗を覚えるような人たち」は「この思考的実験をおもしろくないと思われるかもしれません。」とクギを刺すのは反則のような気がするのですが?