B062 『仕事のくだらなさとの戦い』
佐藤 和夫 (2005/12) 大月書店 |
タイトルがあまりにキャッチーな本の多くは
・偏見に満ちた内容の本
・あまりに平凡な考えをただ大袈裟に大発見をしたかのように書いている、タイトル以外に読む場所のないような本
のどちらかである場合が多い気がする。
しかし、本著はその点では読める本であったと思う。
強い思いを理性でぐっと抑えている。
ただ、このタイトルは少し誤解を招く。
著者が戦おうとしているのは「仕事のくだらなさ」ではなく「くだらない仕事」である。
著者は労働そのものには絶望よりはむしろ希望を見ている。
子供が生まれてすぐの読書のタイトルがこれか、と思われるかも知れないが、だからこそのテーマだと思う。
佐藤和夫の執筆の動機の多くは若者が生きていても仕方がないと感じるような現状をどうにかしよう、と言うところからきているようで共感できる。
子供は社会の鏡というが、そうだと思う。
生まれながらに『生きていても仕方がないと感じる』子供だったわけではない。
子供が大人になることに希望をもてる社会だろうか。
大人は子供達に生活や労働に対して喜びや希望、もしくは辛さを受け入れる強さなど前を向く術を伝えてきているだろうか。
資本主義のシステムは自動的に自己を守ろうとする巨大な規範となってしまっている。
何のためにそのシステムを必死に守り、それに乗ろうとしているのか。
それから目を背けたままでは子供達にはそのシステムに利用されているようにしか見えないだろうし、そこに希望は持てないだろう。
たとえシステムを受け入れるとしても、目を背けるだけでなく、少しでも向き合い、子供達に何かを示せるように努力をすべき時期に来ているのではないだろうか。
自分の子供に不憫な思いをさせたいとは思わない。
しかし、僕が子供にしてあげられることの中から、優先順位をつけなければいけないとすれば、一番に来るものは「多くのモノを与えること」ではなくて、「僕自身が人間として先を歩き、何らかの希望を彼に与えられるような生き方をすること」である。
後は彼が判断できるようになってくれれば良い。
著者のヒントは労働にもともと備わっていた、楽しみや喜びを取り戻すこと。
自立性やコミュニケーションが重要。
自分の着る服が自分や自分の親しい友人によって編まれたり縫われたりして、みんながその人しかないような服を着られるとしたら何という豊かな社会であろう。料理を友人たちと楽しんで作り、一緒に夕べにワインやビール、各人の得意料理を雑談しながら楽しめるとしたら、どれほど人間は豊かな生活であろう。こんな当たり前の夢がまったく不可能な方向に日本社会が向かっているのはなぜであろうか。
「ただ生きることを楽しむこと」がこんなに贅沢になってしまった国が他にあるだろうか。
僕が答えを見つけられているわけではない。
それでもやはり、「ただ生きることを楽しむこと」が当たり前と感じられる。そういう姿勢で生きられるようになりたい。