ドーピング構造から抜け出す B321『食料と人類』(ルース・ドフリース)

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ルース・ドフリース (著), 小川敏子 (翻訳)
日本経済新聞出版; New版 (2021/4/2)

息子の勉強の関係で食糧問題に関する本を読ませる必要があり購入。

今年は田んぼをやってみたこともあり、関連がありそうだと思い自分も読んでみた。

歯車と手斧、方向転換

原題は”The Big Ratchet”である。
食糧問題に対し、知恵を使って目の前の問題を克服しても、やがて新しい問題に直面して挫折する。それでもさらされる危機の中から新しい突破口を見出して克服へと向かう。人類はそのサイクルを繰り返しながら前進してきた。それを本書では、歯車(ラチェット)と手斧(ハチェット)、方向転換(ピポット)に例えているわけだが、その歴史を俯瞰的に見る視点が獲得できるという点で、とても良書であった。

人間(人口増加)と食料(農業)の関係の歴史を、いったん善悪の判断を棚上げして、宇宙規模の時間から入るのがまず良い。
はじめに結論ありきだと、読む方もそのつもりでの読み方しか出来ないが、フラットに歴史をたどることで、読者の中でもこれらの問題が、善悪もしくは、良否のあいだを揺れ動くことになる。

循環と過剰

先程書いたように、本書はまず宇宙規模での素描から始まる。
さまざまな幸運のもと、地球誕生から想像もつかないような年月を経て、地殻運動や気候、生命活動などを通じた、炭素・窒素・リンなどの循環システムがつくりあげられた。この循環はプレート移動のような何百万年の周期から、生物の日常的な周期と大きな幅がある。

食料供給量は、これらの循環速度によって縛られてきたわけだが、その速度を人為的に早め、より多くの人を養えるようにしてきたのが、人類と食料の歴史である。

特に、窒素・リンの土地への投入と、食料生産を支える労働力の確保が大きなポイントになる。

窒素は、チリ硝石という硝酸ナトリウムを主成分とする鉱物利用を経て、現在ではハーバー・ボッシュ法による空気中の窒素からアンモニアをとりだす手法が主流となっている。
リンはグアノという海鳥の糞などが化石化した資源を取り尽くした後、現在ではリン鉱石の利用が主流になっている。
そして、労働力は人力から家畜利用を経て、現在では大型機械に頼っている。

いずれも、製造や運搬などに大量のエネルギーを必要とする。(次回紹介予定の『シン・オーガニック』によると、ハーバー・ボッシュ法によるアンモニア生成に世界のエネルギー消費量の1~2%が使われており、温室効果ガス排出の3分の1が農業と食に由来する。さらに絶滅危惧種の86%が農業が原因であるという。)

土壌への化学肥料の大量投入によって文明は地球の循環という制約から開放されたわけだが、これは、エネルギーの大量消費の他に、富栄養化による川や海の汚染、二酸化炭素の300倍と言われる温室効果ガスの発生といった問題を発生させ、環境のバランスを狂わせている。

他にも、品種開発、モノカルチャーと農薬などの様々なトピックをあげて、人類と食料に関するこれまでの歩みが解説されている。
これらの歩みは、増え続ける人類に食料を供給しなければ、という生存に根ざした欲求によるもので、そこには善も悪もないだろう。
しかし、今の状態が持続可能ではないことは明らかである。
では、なぜそうまでして、人類は人口を増やし続けなければならないのだろうか。

農耕生活から都市生活へ

この問いに対する明確な答えは本書にはない。

1800年に9億5千万人だった人口は、1900年には15億人、1950年には25億人、2000年には60億人と急増し、ピークと予想されている2050年には90億人に達している可能性があるという。
また、2007年5月には都市居住者が過半数となり、人類は農耕生活から都市生活へと移行した。
この移行を著者は、狩猟採集生活から農耕生活への移行に匹敵する大転換だという。
食料はスーパーで買うものになり、消費カロリーは増え続け、肥満が増えた。それに伴う環境への負荷も増え続けている。
さきほど「温室効果ガス排出の3分の1が農業と食に由来する」と書いたが、その原因の多くは農業というよりはむしろ都市生活の方にある。

この、都市生活化と人口爆発を牽引している大きな要因の一つが、成長を義務付けされた資本主義にあることは間違いない。
人口増加というドーピングは別の問題を引き起こし、さらなるドーピングを余儀なくされ、それが延々と繰り返される。
また、次回説明するように、化学肥料などの大量投入も同じ構造を持っている。
化学肥料や農薬でドーピングすることで、自然がもともと持っていた窒素やリンなどの循環システムは破壊され、さらなるドーピングをせざるを得なくなっている。そして、それがまた他の問題を引き起こしていく。

狩猟採集生活時代から農耕生活時代にかけて、人類と食料に関する歯車と手斧のサイクルは、生存に根ざした慎ましい営みであっただろう。
それが都市生活時代に入ると、農業もドーピングのためにドーピングせざるを得ない状況に追い込まれ、資本主義に飲み込まれてしまった。これは生存に根ざした営みとは言い難い。

ならば、今直面している手斧に対して、人類が次なる方向転換を行い歯車をまわすとするなら、その道はこのドーピング構造を脱する方向以外にないように思う。そのために知恵を絞る以外に、はたして道はあるだろうか。

私も何か掴めないだろうかと、畑や田んぼで自然菜園のマネごとのようなことをしてみている。(畑は、今は放置状態に近くてあまりうまくいっていない。田んぼは現状、慣行農法でやってみた段階。)
これまでも、稲作や菜園をやる以上、化学肥料や農薬、単一栽培などに対して自分なりのスタンスが必要では、と感じていた。
しかし、全体像も個別の問題もつかめていなかったので、何のためにそれをやろうとしているのか、ということでさえぼんやりとしたままだった。

それが、本書を読んで少し掴めたように思う。

畑も田んぼも、このブログで考えたりインセクトの方で展開しようとしている問題、すなわち、近代的な枠組みを乗り越えながら豊かな生活を実現するにはどうすればよいか、という問題に対するアプローチの一つなのだ。
それは、この世界のドーピング構造から抜け出すための方法を探る試みだと言える。

本書を読んで、何から抜け出す必要があるか、の輪郭が多少なりとも掴めたのは幸いだった。

次回紹介予定の『シン・オーガニック』も、この問題に対しより具体的な展望を掴むことのできる良書だった。かなりの情報量でまだ自分の中で整理できていないけれども、時間をみてまとめてみたい。





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