嬉しい変化 B320『宮大工西岡常一の遺言』(山崎 佑次)
山崎 佑次 (著)
彰国社 (2008/3/1)
少し前にふと目についたので読んでみたもの。
そのころたまたま、『木のいのち木のこころ』の聞き書き著者のイベントに参加したこともあって、これも読んでみた。
西岡 常一 (著), 小川 三夫 (著), 塩野 米松 (著)
新潮社 (2005/7/28)
この手の本は、今までも読もうと思ったことは何度もあったけれども、あまり食指が動かず実際に最後まで読めたことがなかった。
なぜ、読めなかったかはなんとなく分かる。
木造建築の木材と言っても、軸組工法もしくは線材ということばのように、単なる骨組み、あるいは線状の構造材、さらには意匠的なアクセントのようなイメージしか持てず、それ以上の実感を伴う想像力が働かなかったからだ。
要するに、製材された木材として、既製品のような工業製品に近いイメージしか持てなかったのだ。
これは、自分の中でもよろしくないと思っていて、だからこそ時々この手の本を読もうとしてみるのだけれども、やはり想像力や興味が追いつかないため、すぐに投げ出していた。
それが今回は面白く読めた。
自分でも意外だったのだけど、なんでだろう。
ここ数年、木材というよりは”生物としての木”として触れたり考えたりする機会が多かったし、木材として考える際も”生物としての木”と陸続きである、と感じられる機会が僅かでもあった。おそらくだけど、これが、自分の中に何かしらの変化を起こしたのではないか。
感じ取れるかどうかの微々たる変化で、自分の中の建築のイメージをひっくり返せるほどのものではないので喜ぶには早いかもしれないけれども、嬉しい変化だ。
だって、この手の変化を期待して2拠点生活や、米作りなどをやっているといっても過言ではないのだから。
学生の頃に一応勉強した日本建築史も、これまであまり関心が持てなかった。
しかし、今はもう一度、とくに日本建築の構法的な部分を勉強し直してみたい欲に駆られている。
感覚的には、自分の中のこの手の変化が、このまま一気に進むとは思えないし、気の長い話ではあるのだけど、少なくともこの感覚を逃さないように捕まえておきたい。