ジム カムバック B322『生きのびるための事務』(坂口恭平)

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坂口恭平 (著), 道草晴子 (イラスト)
マガジンハウス (2024/5/16)

ジム カムバック

「ジム 突然ごめん、今まで悪かった。やっぱりたまには俺と会ってくれないか?」
「やぁノリ。久しぶり。そろそろ来る頃かと思っていましたよ。もちろん私が力になれるなら喜んで。」
「ありがとう。そう言ってくれると思ったよ。早速だけど、少し話をしよう。」
「そうしましょう。ノリのことは遠くから見守っていましたよ。」
「ノリという呼び方も懐かしいなぁ。じゃあ、近況から。」
・・・・

先日、坂口恭平さんの「生きのびるための事務」の広告が目に入った。
そういえば、自分の中にもジムがいたな、と思い出した。
ジムとは久しく合っていなかったけれども、急に懐かしくなって本を買って読んでみた。

やっぱりジム、お前が必要かもしれない。
 
 

ジム

僕とジムとの出会いは大学1年生の時。大阪に引っ越してすぐの頃だった。

大阪の大学に入学が決まった僕は、まず、住むためのアパートを探した。
親からは、面倒を見るのは高校まで。それ以降は自力で生活するようにと言われていた僕は、奨学金とバイトだけで生活していく必要があった。不動産屋に行き、大学の近くで一番安いところという条件を出したので、アパートは一瞬で決まった。
大阪の大学近くの「暁荘」という名のアパート。4畳半風呂なし、トイレ共同、月1万2千円。高校時代が寮での共同生活だったこともあり、それで十分。むしろ自由な生活の始まりを感じて僕はワクワクした。

暁荘での生活が始まって1ヶ月が経過した頃、突然知らない男が鍵を開けて部屋に入ってきた。
「だっ、誰?」
大学近くの安アパートで、既に溜まり場になっていたので、人がふらっと入ってくるのは珍しくはなかった。だけど、鍵を開けて当然のように入ってくるその男に僕は一瞬恐怖を覚えた。
「あれっ、ヤスはいないのですか・・・・
そういえば、ヤスは引っ越すっていっていましたね。あなたがここの次の住人っていうわけですか。鍵を変えないなんて不要人ですが、まー、この安アパートじゃ盗るようなものもないでしょうね。」
その躊躇のない飄々とした雰囲気に触れ、若い僕の恐怖心はすぐに好奇心に変わった。

その男はジムという名前で、普段は関東で生活をしている。時々大阪に来る時に前の住人であるヤスのところに泊まることにしていたらしい。
この安アパートの住民はジムを必要とする人が多かったので、長く大阪の拠点になっていたそうだ。ジムにとってヤスが3人目の住人らしい。つまり僕が4人目というわけだ。
僕も例に洩れず、ジムの事務を必要とする生活が始まっていたため、僕らはすぐに意気投合し、その後僕が大阪を離れてからも、時々訪ねてくれる仲になった。

といっても、坂口さんの時ほど密に過ごしたわけではなく、時々友人として話をするくらいだった。ジムはおそらく相手によって接し方を変えていたんだと思う。(僕は、ジムのことを師匠のように思っていたけれども、それを口に出すことはしなかった。)

そんなこんなで、僕はジムとの会話で時々出てくる格言のような言葉を自分なりに(時には間違った)解釈をしながら過ごしていった。

大学以後

僕は坂口さんと同じく大学で建築を学んでいて、大学の3回生になる頃には、よくある建築を夢見る少年になっていた。そして、当時活気のなかった大学の建築学科に対して、いつも不満を漏らしているような学生だった。
だけど、就職か他の大学の大学院への進学か迷っていた僕は、ある事件をきっかけに建築に幻滅することになる。大人がつくるものはろくなものがないじゃないか。こんなものをつくり続けるなんて一生かけてやる意味があるのだろうか。むしろ社会にとって悪なんじゃないか。
そんな思いを抱き始めた僕は、建築をやめ親がやっているような農業でもやったほうがいいんじゃないか、と真剣に考えるようになっていた。
結局親に説得され、もう少し建築と向き合ってみることにしたけれども、その時には一般的な就職の募集も大学院の受験時期も終わっていた。

「ジム、僕はどうしたらいいんだろうね。」
「建築をやることに決めたんじゃないのですか。」
「そうなんだけど、なんだか分からなくなっちゃって・・・周りはみんな進路が決まってるし焦ってるのかな。」
「ノリらしくないですね。周りと比べても何の意味もないですよ。それに焦りなんて、事務的に間違っていることを考えている証拠ですよ。まずは、現状を整理しましょう。何をやりたいか分からなくなっているということですね。」
「いや、本当は焦っても意味がないことは分かってるんだ。ただ、何が分からなくなったのかがよく分からないんだよ。建築をやることは決めた。これに今は迷いはないし、なんだかやる気も湧いている。」
「それならぜんぜんいいじゃないですか。今、建築をやるために続けていることがありますね。まず、それは続けましょう。その上で何が分からないか分からない、ということですが、そういうこともあるでしょう。それが今の現実です。それなら今何をやるべきだと思いますか?」
「うーん、とりあえず環境を変えてみることかな。」
「いいですね。では環境を変えましょう。」
「でも、何をどう変えるべきかが分かんないんだよなぁ・・・」
「別に何だっていいんですよ。環境を変えることが目的ですから。そうですねぇ、まずはここを出ていくこと。できれば大阪以外がいいですね。」
「友達もたくさんできたから、大阪から離れるのはちょっと寂しいな。」
「だからいいんじゃないですか。どこか行きたいところはないんですか。」
「うーん、僕はどこでも住めば都派だから、これといって。
あっ、そう言えば新建築に東京の建築系の専門学校の広告が載っていたな。確か、大学卒業後のコースがあったような。」
「では、そこにしましょう。東京を一度体験してみるのもいいんじゃないですか。多くの情報は東京に集まりますし、建築系のイベントも多いですよ。」
「そんなに簡単に決めていいのかなぁ」
「いいんですよ。事務は簡単に決めるためにあるのです。東京に住む口実ができて、建築の勉強もできる。それに見てみると1年間のみのカリキュラムじゃないですか。環境を変えるには十分すぎる条件ですよ。」
「うーん、他に何かあるわけじゃないし、そうするか。じゃー、申込期限も近いし来週下見に行ってみるよ。」

ということで、大阪の大学を卒業した後は東京の専門学校に行くことになった。
もちろん不動産屋での第一声は、「新宿に通うことが出来て一番安いところ」。

こうして始まった東京での専門学校生活。
この時は、建築関係の難解な文章が読めないことが嫌だったので、年間100冊以上読んで1冊毎に必ず何かしら文章として書き出してみることを目標にした。(この習慣はペースは落ちても今も続いている。)

そして、専門学校の講師をしていた方に模型の腕を見込まれ、そこで働くことになった。
給料は格安で極貧生活は続くのだけれども、他にバイトをする時間がとれなかったので、定期を買うお金もなかった。それでやむを得ず千歳船橋から六本木まで片道1時間を自転車通勤することになる。

この頃には同期の友達がそれなりのところに就職してそれなりに良い生活をしている。全く羨ましくなかったかというと嘘になるけれども、建築に少しずつ近づいているという確かな手応えがあったので苦ではなかった。

その事務所も、途中、結核を患って3ヶ月ほど離脱した。
「ジム、今日病院に行ったら結核だと言われたよ。”派手にやらかしてるね。早速明日から入院してくれ”ということになった。どうしよう。」
「どうしよう、と言う割にはそれほど落胆はしてなさそうですね。」
「うん。昔は命に関わる病気だったけど、今は大抵薬で治るらしいからね。それでも、薬が効いて検査で退院しても大丈夫と分かるまでに最低3ヶ月かかるみたいなんだ。先生(もともとは学校の講師として出会ったため、その後も先生と読んでいた)に迷惑かけちゃうな。」
「なっちゃったものはしょうがないですね。ノリはまだ若いから3ヶ月で退院できるとして、その間の過ごし方を考えましょう。」
「それなんだけど、この機会にやりたいことがいっぱいあるんだよ。今年は一級建築士の試験を受けようと思ってたところだし、つくりたいものもいっぱいある。」
「いいですね。それではその準備をしましょう」
それで、翌日、僕はコルビュジェの作品集と模型の材料を大量に持って虎ノ門にある隔離病棟に入院した。
幸い3ヶ月で退院できたのだけど、その間、友人に建築士試験の参考書と問題集を買ってきてもらい、みっちり勉強しつつ、好きだったコルビュジェの住宅の模型を病棟の団らん室でもくもくとつくった。(おかげでその年、建築士の試験は一発合格できた。たまたま同じ病棟に入院していた藤森照信氏のおじいさんという人とも仲良くなった。)

入院前、入所したころ7万円だった給料が倍くらいに増えたところだった。けれども、僕の入院騒ぎで新しいスタッフを入れざるを得なくなったため、退院後にはもとの金額に戻ってしまった。生活はあいかわらず厳しかったけれども、この事務所で僕は多くのことを学ぶことが出来た。

そんな事務所生活を送って数年経った頃、鹿児島の妹が結婚して新しく家を建てることになった。設計は僕に頼んでくれるそうだ。

「ジム、妹が家を建てることになって設計をさせてくれるかもしれない。」
「いいじゃないですか。いよいよ実作ができますね。」
「でも、東京で働きながらでちゃんとできるかな。ちゃんと現場で監理しないと責任が持てないよ。」
「それなら、鹿児島に引っ越せばいいんじゃないですか。」
「簡単にいうね。ここの事務所にもやっと慣れてきたところだし、先生にも恩があるよ。」
「恩は大事にしないといけないですよ。ですが、事務的にはどうするのがいいとお思いです?」
「それはもちろん、鹿児島に行くことだと思う。何の実作もない若造を世間はなかなか相手にはしてくれない。最初の実作をどう実現するかが一番難しいところだからね。これはまたとないチャンスだ。」
「それでは決まりですね。先生にはちゃんと説明しましょう。大丈夫、あなたの先生だから分かってくれますよ。」
「よし、そうするか。
だけど俺、貯金はまったくないんだよな。鹿児島に引っ越して生活できるだろうか。」
「大丈夫ですよ。そこは事務的に考えればどうとでもなります。大事なのは、その行動が未来の自分にちゃんとつながっているかどうかですよ。」
「うん分かった。明日、先生に話をしてみるよ。」

こうして、東京の事務所を辞め、今度は鹿児島に引っ越すことになった。
行き当たりばったりの生き方だけど、「自分の設計で食べていく」という未来に向けた、その時々の事務的な判断あってのことなのだ。ジム、本当にありがとう。

さて、鹿児島に引っ越した僕は、妹の家の現場に通うことになる。と言っても、貯金があるわけじゃないので、鹿児島市の新婚の妹のアパートに転がり込んで、妹の旦那さんのお父さんから借りた軽トラで霧島市の現場まで1時間ほどかけて通った。今思うと割とめちゃくちゃだ。こんな僕を受け入れてくれた妹にも感謝しかない。
妹の結婚式では、ご祝儀を出すお金がなくて、設計料割引券で勘弁してもらったのだけど、値引いた設計料では、早々に生活が難しくなりそうだった。現場を減らしてバイトを入れないとな。
そう考えていた頃、見かねた大工さんが、「日当払うから現場を手伝え」と言ってくれた。
それで現場の監理者から大工見習いにジョブチェンジすることになる。これはこれでいろいろ大変だったのだけれど、なんとか妹の家は完成した。

その後、バイトをしたり、ちょっとした設計の手伝いをしながら食いつないでいたけれどもちゃんとした設計の仕事の依頼はなかなか来なかった。鹿児島での経験と実績、人のつながりが必要だと痛感した僕は、ハローワークに通い、地元の設計事務所にしばらく勤務することにした。

そんなときに出会ったのが妻のフアンだ。そして、僕はジムとだんだん疎遠になっていった。

フアン

今僕には妻と3人の子どもがいる。
妻は不安が服を着て歩いているような人なので、ここでは名前をフアンということにしよう。
フアンと出会った頃、この子は自分自身のことを幸せにするのがなんて下手な子なんだろう、と思った。同情したとかではまったくなく、単純に自分とは違う思考方法がとても不思議だったのだ。
そういう訳で、僕はフアンと結婚し、数年後には満を持して独立することになった。

「ノリが私と会うことを避けるようになったのは、フアンさんと結婚して、子どもが出来、独立した頃からでしたね。どうしてですか?」
「何か大きな理由があるわけじゃないんだけれど、ジムと会って話をしていると、なんだか自分がいたたまれなくなって辛かったんだよ。何か責められてるような気がしてね。」
「責める?私がノリを責める必要がありますか?
 私はノリが何をしたって責めるなんてことはしませんよ。そんなことをする理由は私にはありませんから。」
「ジムが俺を責めることがないことは分かるよ。自分の心の中の問題なんだ。」
「何か問題があったんですね。その問題とやらを一応聞かせてもらいましょう。事務的には問題なんてものはありはしませんがね。」
「うーん、手厳しくきそうだな。
俺が独立を決めていざって頃から、フアンがとても不安がって不安定になったんだよ。」
「不安ってなんですか?」
「いやいや、ジムが不安って言葉を知らないことは知ってるけど、まずは聞いて。とにかく不安ってやつが俺の目の前に立ちはだかったんだよ。」
「分かりました。まー、聞きましょう。」
「それまでの経験から、あまり縁のない土地で、準備がないまま仕事をとることは難しいと痛感してた。それで、独立時に何かイベントをしようと住宅模型をたくさんつくりためていたのはジムも知ってるよね。」
「ええ。事務的には何とか及第点だったですね。」
「それで、まずは人に知ってもらうことが大切だと思って、展覧会を絡めた作戦をいろいろ練ってたんだ。
そんなある時、息子とドライブ中に他の車を軽くこすっちゃってね。若干の修理費を支払わないといけないことがあったんだよ。」
「はい。事務的にはいろいろ間違いがありそうですが続けて。」
「一応そのことをフアンに報告して家に帰ったら、何があったと思う?
この大変な時期になんてことしてくれたのよ、と怒りに火がついたらしくて、模型が3つほど破壊されてたんだ。
これが僕はショックでね。独立がうまくいくようにと、昼間は働きながら子どもを寝かしつけした後、夜中にコツコツとつくりためていた模型だよ。俺にとっては、いや家族にとってお金よりずっと重要なものだと思ってた。それが壊れているのを目にし、修理してたら涙が出てきてね。あー、俺は独立なんてできないんじゃないか、とすっかり弱気になってしまった。
それでも、友人に励まされて気を持ち直し、何とか展覧会の準備を整えた。そんな頃、必死で準備をしていることにフアンはまた不安になったみたいでね、”なんで学生の文化祭みたいなことやってるの。そんなことしてないで、ちゃんと仕事を取ってきたらどうなの。”とキレてしまった。
俺は、仕事をとるために必要なことと思ってやってたし、実際これが縁で最初の仕事につながった。フアンには展覧会の企画書を書いて、何のためにやるのか説明したつもりだったけど、不安を前にしたフアンには全然届いていなかったんだ。それがまたショックでね。
一番身近な人に理解されないことがこんなに辛いとは思わなかったよ。」
「へー。」
「その後も何とか気持ちを持ち直して、仕事を続けられたんだけど、こんな仕事だから仕事量にはどうしても波がある。別に仕事が途絶えるわけじゃないよ。現場が数か所残ってるだけで、次の仕事はまだ決まってない、という状況が3年か4年に一度はある。設定している売上は順調にクリアしていたので、俺としては想定内だ。
仕事が重なっている時は忙しいので、むしろ、こんな時こそこれからに備えた手を打つ一番大事なタイミングだと思ってた。そんな時に限ってフアンはいつも不安に飲み込まれちゃうんだよ。」
「ほー。」
「ある時はフアンが“どうするの、どうするの“ってしつこく聞いてくるもんだから頭にきちゃってね。”それを今考えてやる時期なんだよ“と返したら”どうせあなたにはもう仕事はこないわよ“と言われたよ。
それに、何かきっかけがあって新しいことしようと考えるたびに“そんなことしても意味ない”みたいなことを言われたり機嫌が悪くなったりするんだ。こういう時にこそ投資をすべきだけど、こういう言葉を聞くと展覧会の出来事がフラッシュバックして、頭が真っ白になって何もできなくなる。
前回なんかは、“仕事がないのにあなたはなにもしてない。”みたいに言われてね。俺は24時間どうすれば選ばれる存在になれるか、そればかり考えてるのに心外だと怒ったら、“自分が選ばれると思ってるの?”だってさ。それを信じられなかったらいったいどうすればいいんだよ。
とにかく、事務的に行動しようとするたびに、ネガティブな言葉をかけられて弱気になってたんだ。何もかも嫌になって、俺は独立して建築をやる資格なんて最初からなかったんだ、もう辞めよう、と思ったことは1度や2度じゃないよ。事務なんて捨てちゃって、サラリーマンとして何も考えずに行きていこうってね。
若い頃から人生を建築に掲げてきたつもりだったけど、もう潮時かもしれない。
そんな心境なもんだから、ジムと会うのが辛くなっちゃったんだよ。」

「ノリ・・・それは辛かったですね・・・」
「・・・ジム・・・ありが」
「って、そんなこと思うわけないじゃないですか。端的に言ってあなたはクソですよ。ダサ過ぎます。いったい私と過ごしたあの時間は何だったんですか。まったくがっかりさせないで欲しいですね。」
「・・・・ジム、やっぱりそうきますか・・・がっかりさせないでくれ、って昔おやじに言われた時と同じくらいガツンとくるね・・・」
「おやじさんは”がっかりした”という言葉であなたを何かから守ろうとしたんでしょうが、私は純粋に心からがっかりしましたよ。あなたを守る義務は私にはありませんが、少なくともノリとの時間は私のちょっとした楽しみでしたからね。」
「・・・・何かごめん・・・」
「そう、あなたはほんと女の腐ったようなやつですね。いや、この言い方は問題があるので、あなたのことを男の腐ったやつと呼ぶことにしましょう。さっきの話のフアンさんの言葉ですが、ノリはなぜそんなに覚えているんですか?」
「いや、頭に来たから忘れるのが何かシャクで。」
「いいえ違いますね。あなたはそれらの言葉を言い訳にしようと思って大切にしまっているんです。うまくいかなかったら、あの時ああ言われたから、と自分を慰めたいのでしょう。今がまさにそうですよ。」
「・・・・・」
「ノリが高校生の時におやじさんからもらったという言葉がありましたね。あれを忘れたのですか。」

そう、僕が高校生の時に父親からもらった大切な言葉がある。
いわゆる進学校に入学し寮に入った僕は、それなりにやる気に満ちていた。
しかし、高校の寮は各学年が一人ずつ、3人が一つの部屋で過ごすようになっていて、3年生は絶対的な存在という上下関係が残っているところだった。
1日に5時間ほど学習時間があるんだけど、1年と2年は3年生の邪魔にならないように音をたててはいけないというのがしきたりだ。特に、僕の部屋の3年生は短気で有名で、僕が少しでも音を立てると、壁を蹴って部屋を出ていくような先輩だった。
だから、シャーペンはご法度。文字はボールペンでゆっくり書く。失敗しても消せないのでいつも僕のプリントは裏まで使って書き込まれていた。だけど、プリントや教科書をめくるのにも音をたてられない。ゆっくりと慎重に時間を掛けてめくらなくてはいけない。
せっかく進学校に来たのに、これじゃろくに勉強もできないじゃないか。僕は腹を立て落胆した。
ある時、実家の母との電話でこのことを愚痴った。母は同情してくれた。
しばらくして、実家から寮に荷物が届きそこに短い手紙が入っていた。
いつものように母から健康を気遣う文面。最後に「お父さんからです」と書かれたその後には「言い訳をするな。工夫して勉強せよ」という書き殴ったような文字があった。
同情の言葉を期待していた僕は最初がっかりしたけれども、それから次第に言い訳を止めて自分なりに工夫するようになっていった。
それからこの言葉は生きていくための大切な言葉になった。

「その話を聞いて、ノリのおやじさんはかなりの事務の使い手だと思いましたし、だからこそ私がノリの中に事務の芽を感じたんだと思いますよ。そんな言葉をもう忘れたのですか。
言い訳なんてものは事務のまったく反対側にあるもので、事務の出来ない人が真っ先にすがりつくものです。ノリも分かっているでしょう。それなのに、まったく男の腐ったやつですよ。」
「・・・・・分かってるよ・・・・」
「ノリは私とやり直したいと思っているんですか?」
「その言い方はちょっとあれだけど、そう思ってる。」
「それなら先程のフアンさんの言葉は今すぐに忘れてください。どうせフアンさんだって覚えてやしませんよ。それが出来ないなら、ノリとは2度と会うことはありませんね。」
「分かったよ。もう忘れた。思い出して言い訳の種にするなんてことはしないと誓うよ。」
「それから“若い頃から人生を建築に掲げてきた”なんてつまらないことを言うのもやめてください。事務的に当たり前なことをしてきただけなんですから。」
「まったくそのとおりだ。」

僕は自分の体が羽が生えたように軽くなるのを感じた。
ジム、さすがだよ。

インセクト

「それでノリは、男の腐ったやつみたいにずっとウジウジしてたんですか。」
「うん、まぁ、そうだね・・・
だけど、一つだけ奇跡のような出来事があったよ。」
「ほう。」
「少し前から建築の分野でも環境という言葉がよく使われるようになって、これに対するスタンスをどうとるか、に対するプレッシャーが年々大きくなっているように感じてたんだよ。それまでの俺は環境という言葉の使い方がなんか胡散臭く感じてて、あんまり真剣には考えていなかった。でもね、一度自分なりの基準をつくらないといけないと思ってちゃんと向き合うことにしたんだよ。」
「流行りの概念に盲従するのではなく、自分の基準をつくろうというのは良いのではないでしょうか。」
「それで、いろいろ勉強してみたら、これは自分の生活環境を変えてみないと何も分からないぞと思うようになった。その頃、自分の存在感がどんどん小さくなっていて、いわゆるオワコンになりつつあるっていう感触もあったから、なおさら何かを変えなきゃっていうのもあったしね。」
「また、環境を変えよう、と。」
「うん。その考えはどんどん強くなったので、フアンにダメ元で“山が欲しい。というか山のあるところに事務所を構えたい。”みたいなことをボソッと言ってみた。これまでの経験上そんな思い付きが通るわけない、とまったく期待はしていなかったんだけど、なんと、フアンが山あいにある中古住宅を見つけてきてくれたんだ!」
「なるほど、それが奇跡だと。」
「そう。俺にとっては奇跡だよ。こんなことが起こるとは全然思っていなかったからね。それで、その中古住宅を購入し、付属の馬屋を自分で改装して事務所にしたんだ。
その頃、大きな仕事を複数かなり無理をしてこなした後だったから、心身ともに疲労がたまっていた。それを見かねて、フアンも協力してくれたのかもしれない。たまたま金銭的に余裕があるタイミングだったってのもあるかも。」
「ノリのそれまでの事務が効いてきたのかもしれませんよ。」
「そうかなぁ・・・
それで、そこで考えたことをとりまとめて“インセクト”という活動をはじめた。」
「インセクトのサイトは一度覗いてみましたが、あまり動いている感じはしなかったですね。」
「そうなんだ。いろいろあって公開が少し送れたんだけど、いよいよインセクトを知ってもらうための行動をしなければ、って時にフアンの不安スイッチが入ってね。”インセクトばかりやってても仕事来ないんだから、オノケンの方もちゃんとやってよ“と言われちゃった。これでまた、いろいろなことがフラッシュバックして、気持ちが落ち込んじゃったんだよ。実際仕事もかなり減ってたしね。それで今は軽く更新するくらいにしてる。」
「ノリ、さようなら。私とは2度と会うことはないでしょう。
では。」
「えっ!いやいや、今は話の流れで・・・」
「今言い訳に使いましたよね。」
「・・・・・使った・・・」
「さっき、2度と言い訳には使わないと私に誓いましたよね。」
「誓った・・・」
「では、そういうことで。さようなら。」
そういうと、ジムは部屋を出ていってしまった。

僕は一瞬落ち込んでしまったけれど、今ジムと別れるわけにはいかない。今の俺はジムを必要としてるんだ。すぐにジムを追いかけ、なんとか説得して部屋に呼び戻した。

「ジムごめん、今度こそ2度と言い訳には使わないよ。」
「あまり信用できたもんじゃないですが、いいでしょう。次はないですからね。」
「分かった。でもさ、現実問題として、いや、事務の問題として、フアンが不安になっている時に俺はどうしたらいいんだ。やらないといけないことがあっても、思い切って前に進めないよ。」
「ノリの言っていることはおかしなことばかりでどこから手を付けたらいいのか分からないくらいですが、そうですね。まず、フアンさんが不安とかいうものを感じるのは当然のことです。夜の次に朝が来るのと同じように必然的な出来事です。」
「そうなの?」
「いいですか?人間が狩猟生活をしていたころ、基本的に男は狩りに出て、女は住居の中で生活を守っていました。それぞれの役割があったわけですが、女は男になんとしても食料を調達してきてもらわないといけない。そんな時に、男が狩りが下手でなかなか食料を持ってこなかったらどうしますか?」
「そりゃ不安になって男にハッパをかけるだろうね。」
「そう。それが当時、女にとっての事務ってものですよ。中には男をうまくノセて狩りにいかせた人もいるでしょうが、それは達人だからとりあえずは例外としましょう。
そんな狩猟生活が人類の歴史のほとんどの時間を占めていた。定住して貯蔵が可能になったのはほんの最近ですよ。だから、不安になるっていうのはDNAの中に深く刻まれた本能的事務といってもいいくらいです。まー、本能と事務はかなり違うことですがね。それだけ根深いってことですよ。」
「ジム、結局何が言いたいんだよ。ってか不安って言葉よく知ってんじゃん。」
「私は不安を感じたことがないので不安がどういう感情かは知りませんよ。ただ、事務的に必要な知識として身につけているだけです。普段は面倒なので知らないことにしていますが。
ところで、ノリはフアンさんにすぐ不安にならないよう、変わって欲しいと思ってるんじゃないですか。」
「そりゃぁまぁそうだよね。」
「そこがノリが男の腐ったやつたる所以ですね。DNAに刻まれた人の性質が今更変わるとでもお思いですか。馬鹿らしい。
それに、フアンさんが不安になるのは99%、ノリあなたのせいです。」
「99%っていうのはおおげさだな。」
「いいえ99%ノリのせいです。はっきり言えばノリの事務がまったくダメだからですよ。フアンさんを不安にさせないという事務が100%この世に存在しないなんてことがあると思いますか。そんなことはないですよ。少なくとも私ならフアンさんを不安にさせない事務を行うことができます。まー私は神ではないですから100%とは言いませんが、それでも99%くらいの確率で実行できるでしょう。」
「やけに自信満々だね。」
「私にはそれだけの蓄積がありますからね。まー、それをする理由が私にはありませんからやりませんが。
とにかく、99%フアンさんを不安にさせない方法がこの世に存在している、つまりそれを握っているのはノリです。それをしない、というのはノリ、あなたの責任、つまり選択ですよね。それを相手が変わってくれることを願うなんて、まるで神頼み。まったくのナンセンスですね。」
「ようするに、理由があるなら、事務的にそれを実行せよと。」
「そうです。話はそれからです。同様に“やらないといけないことがあっても、思い切って前に進めない”っていうのもクソ発言ですね。それはただの事務的問題です。決してフアンさんの側の問題じゃない。だって、やりたいのはあなたなんですから。」
「じゃあどうすればいいっていうんだよ。」
「もしかしたら、ですよ。もしかしたら、ノリはやりたいことややるために必要なことを量に置き換えるってことをやってないんじゃないですか。
例えば、何かをやるために必要な投資として、お金と時間を1年で何にいくら使っているんですか?」
「うーん、読みたい本があったらすぐに買っちゃうから時間とお金は結構使ってると思うな。やるために必要な投資は必要なんだからその時に余裕があればやる。全部でいくらくらいなんだろう。」
「・・・・呆れましたね。私と長く過ごしていながらこんな基礎的な事務もやっていないなんて。」
「ジムと付き合いがあった時は、お金はまったくなかったから、余ったお金はほとんど全部本にしてたし、時間はあるだけそのまま読書や建築の勉強に使ってたからな。単純すぎて何も考えてなかったよ。そういうジムの話もふーんって聞き流してたな。」
「あの頃はそれで良かったですよ。ですが、状況が変わってもそのままだなんてバカのやることですよ。何も把握しないまま自分の時間とお金を使っているんですか。」
「一切無駄なことはしていないよ。すべてのことは未来へ向けてやってるつもり。でも常に何かしていないと、このままでは駄目になると不安になるというのはあるね。」
「フアンさんが不安がるのもよく分かりますね。というより不安に取り憑かれているのはフアンさんではなくてノリ、あなたの方じゃないですか。私がフアンさんならノリは「たいした計画もないのに不安と思い付きでお金や時間を使っちゃう人」と思ってますよ。これで不安がらないほうがおかしいというものです。」
「ほんとだ。俺、昔から不安に取り憑かれているかも。フアンにも悪い事しちゃった。ジム、どうしよう。」
「まったく世話が焼ける人ですね。昔は筋が良いと思ってましたが、ここまで事務が出来ない人になってるとは思いもしませんでした。
ですが、ここまで事務がなおざりなままで、同じことを続けてこれたというのは、逆に凄いですよ。私としても貴重なサンプルになりそうですし、興味が湧いてきましたから、しばらくお付き合いしましょう。
まず、事務の一番の基礎から始める必要がありますね・・・・・・・」

こうして、僕は改めてジムに事務を教わることになった。こんなことになるなら、若い頃にジムの話をちゃんと聞いておけばよかったな・・・。

≪ つづく ≫

———————————————————–

とまぁ、年配者の昔語りのような話になっちゃいましたが、気分的にはまったく逆です。過去のことはこの場に捨てて未来に目を向けよう。そんな気持ちにさせてくれる本でした。

若い頃は、ジムが話すような話が好きで、自分の中にも父親や尊敬する人をモデルとしたようなジムがいたものですが、いつのまにかいなくなっていました。
おそらく、ある程度経験を積むことで直感にそのまま頼るようになってしまったことと、家族ができたことで自分の中のジムでは対応できなくなったからだと思います。

でも、今だからこそジムが必要なんだと本書を読んで思い直した次第。

子どもたちにも読ませよう。





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