環境とは何かを問い続ける B286『環境建築私論 近代建築の先へ』(小泉雅生)
小泉雅生 (著)
建築技術 (2021/4/16)
以前読んだ本の中で気になる言葉に著者のものが多かったので読んでみた。
内部構造から外部環境へ
著者は、現代主流になりつつある環境建築の多くが、建築という箱をどうつくるかという外部と分断した内部の論理・近代的思考に囚われたままであること、また、実証のための理論であった環境工学が目的にすり替わってしまっていることに警笛を鳴らしつつ、〇〇から〇〇へというように発想の転換をはかるような思考を試みている。
それは、本書の目次によく表れている。
01 プロローグ
02 内部構造から外部環境へ
03 精密機械からルーズソックスへ―機能主義とフィット感
04 ハイエネルギーからローエネルギーへ―均質空間とローカリティ
05 シャープエッジから滲んだ境界へ―サステナビリティと耐久性
06 メガからコンパクトへ
07 パッシブからレスポンシブへ
08 隔離・断絶からオーバーレイへ
09 細分化からインテグレーションへ
10 ウイルスからワクチンへ
11 エピローグ
これらは、エピローグで「矛盾に満ちた、建築家の私論として、理解いただければと思う。」と書いているように、建築家に内在する矛盾に対する抵抗の記録と読める。
この抵抗は、私がここ2年ほど考えようとしてきたことの動機とも重なりおおいに共感するところではあるが、その矛盾とは何だったのだろうか。
環境とは何か
それは、環境とは何か、という問いに集約されるように思う。
環境あるいは環境工学について、『最新建築環境工学』の最初にこうある。
環境とは、人間または生物個体を取り巻き、相互作用を及ぼしあう、すべての外界を意味するもので、大きく自然環境と社会環境に分けられる。われわれがここで取り扱うのは、主として前者の自然環境と人間の関係である。(p.13)
この快適な室内環境を最小のエネルギー利用で達成するのが、環境工学の重要な使命である。ただ、それは建築全体からみれば、あくまでも結果であって目的ではないことを忘れてはならない。(p.18)
ここではっきりと書かれているように、環境工学の扱う分野は建築の部分に過ぎない。
しかし、それが目的化・矮小化されてしまっているところが建築家の内に矛盾を生んでしまっている。
建築家もしくは設計者には、環境という言葉を狭い意味から開放し、総合化-インテグレートする役割があるはずだが、ややもすると「建築家はすぐに言い訳をして、環境問題から目を逸らし続けている」と言われかねないし、この矛盾の解消は簡単ではなくなってきている。
だからこそ、建築家は自らの信念を見つめ、環境に対する新しいイメージと可能性、実現のための技術を磨きながら、環境とは何かを問い続けなければいけないのだろう。
その点で、本書はやはり一人の建築家による抵抗の記録である。
私もようやく、その抵抗の糸口が掴めてきたような気がするが、実践に関してはこれからだ。楽しんでやっていけたらと思う。