2次元と3次元による検討
CGパース(2次元)は細部まで詰めたものだと、実物もほぼ同じように見えるように立ち上がる。
見え方(写真の写り方と言っても良いかもしれない)は2次元の検討でかなりの部分まで”確認”できるのだけども、空間のありようのようなものは2次元では”確認”出来ないように思う。
経験と想像力である程度の検討は出来ても、それは”確認”とはちょっと違う。
逆に模型(3次元)の検討だと、空間の”確認”は出来るのだけども、細部の作りこみには限度があるので、見え方は経験と想像力に頼らざるを得ない。
この違いはどこから生まれるのだろうかと考えてみると、人間の空間の認識の仕方によるのかもしれないと思った。
■オノケンノート ≫ B047 『アフォーダンス-新しい認知の理論』
単に刺激を受け取るのではなく、例えば身体を動かして視点を変えたり、物を触ったり動かしたりしてみたりと、いろいろと探りを入れながら環境から情報をピックアップしていくのである。
VRの技術を駆使してインタラクティブな関係を生み出せれば別かもしれないけど、”想像力”の次元を無視すれば2次元の画像がこちらの呼びかけにリアルに反応することはない。
だけども、模型だと、視点を変えたり模型を動かしたりして空間に探りを入れることが出来る。(実際に模型を見るときはそうすると思います)
その違いが2次元と3次元で確認できることの違いを生み出しているのかもしれないし、それを最大限生かした検討方法って言うのもありそう。
そんなことを考えたら
オノケンノート ≫ む展
そのときふと、佐々木 正人の肌理の話を思い出して、少しずつ遠ざかってみてみた。 すると、ある距離になると、絵の具のかたまりだったものが光やモノの肌理となって奥行きや世界観をつくりだす。
って言うのを思い出した。
ああいう絵っていうのは一種のバーチャルリアリティ技術なのかもしれない。