B024 『モダニズム建築の軌跡―60年代のアヴァンギャルド』

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モダニズム建築の軌跡―60年代のアヴァンギャルド 内井 昭蔵 (2000/07)
INAX出版


60年代に活躍した日本の建築家を論文及び内井昭蔵との対談形式で紹介。
対談の最後は毎回、後進への一言で締められ示唆に富む。

登場する建築家は

丹下健三 Kenzo Tange
吉村順三 Junzo Yoshimura
芦原義信 Yoshinobu Ashihara
池田武邦 Takekuni Ikeda
大高正人 Masato Otaka
清家清 Kiyoshi Seike
大谷幸夫 Sachio Otani
高橋?一 Teiichi Takahashi
菊竹清訓 Kiyonori Kikutake
内田祥哉 Yoshitika Utida
鬼頭梓 Azusa Kito
槇文彦 Humihiko Maki
林昌二 Shoji Hayashi
黒川記章 Kisho Kurokawa
磯崎新 Arata Isozaki

長谷川堯の序説、この時代の舞台を「演出家=前川國男」「劇作家=浜口隆一」「俳優=丹下健三」とみる部分も面白かった。
建築評論家が脚本を描けた時代だ。

日本におけるこの時代を把握するにはとても良い本だと思う。建築を学び始めの人にもお勧め。

って、このブログは本の紹介が目的ではない。
僕自身の思考の記録である。
だから、うまくまとまらないと思うが感じたことを書いておこう。

この時代の作品や言説に触れてみると、ものすごいパワーを感じる。
今の建築は設計者の考え、『頭の中』が見えるようなものが多いように感じるが、この時代のものには当然考えも見えるが、設計者の『人間そのもの』が見えるものが多いように感じる。
人と建築が分離していない。
(黒川記章や磯崎新の世代あたりから『頭』の方になってきた気がするが。)

その違いはどこから来るのか。
今の建築はこの時代から前に進んでいるのだろうか。
今、どこへ向かうべきなのか。

60年代は、モダニズム、日本、機能、モニュメンタリティ、大衆性・・といった課題やキーワードがはっきりと見えやすかった時代ということもあるだろう。
前の世代に物申すという姿勢もはっきりしているし、前に進むという意志と自信とに溢れている。

しかし、今の時代だって課題は山積み、物申すことだってたくさんあるはずで、みなそれに向かって奮闘している。

なのに、この時代の建築に学生時代に感じたような「希望」を感じるのはなぜなのだ。

建築、社会がまだ純粋だったからか。
そもそも、何を乗り越えようとしているのだろうか。
モダン、ポストモダン。
モダン、ポストモダン。
モダンは幻想か。
なにが、どこからポストなのか。

この本自体の射程が「モダニズム」や「年代」といった大きすぎるものというのもあり、踏み込むと容易に答えの出せない抽象的な問いにどうしても迷い込んでしまう。

おそらく僕にとっては必要なのは『希望』のイメージである。

『問題意識』と『希望』どちらも大切だと思うが、今焦点が『問題意識』に向きすぎている。

しかし、『希望』を描くことこそデザインではないだろうか。

描きにくいからこそ取り組むべきものなのではないか。
それこそがデザイナーの仕事ではないか。

頭ではなく人間の中から湧き出るようなもの。
それを描きたい。

(実は学生のころからずっと望んでいることで、ずっと果たしえてない。
なかなか難しい。
それは、やっぱり人間そのものでぶつからなければ描けないのだ。)

このころの作品や言説にもっと触れてみたくなった。





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