趣味的な何かをつなぎとめておくために B220『マイパブリックとグランドレベル ─今日からはじめるまちづくり』(田中元子)
田中元子 (著)
晶文社 (2017/12/6)
田中元子さんの言葉は、当たり前なんだけどなぜか言葉になっていなかったことに言葉を与えるような、ふいに芯をつく強さがあって気になっていた。
自分はまちに対して積極的に関われているとは言い難いけれど、共感することも多かったのでメモ。
3%の趣味
いつから実行したかは思い出せないけれども、頂いた設計監理料の扱いについて自分の中であるルールを決めている。
それは、設計監理料のうちの3%程度は何らかの形でお施主さんに還元するということだ。
竣工祝として植栽やポストなどを送ることもあれば、現場の進行をスムーズに進めるために密かに使うこともある。
中でも、壁の塗装や簡単な家具などの一部をDIYなどでやってしまう時の材料代等に当てることが一番多いように思う。
それに対して、「設計料は、図面に対する対価ではなく、お客さんに対するサービス全体の対価であるから。」等々、いろいろな理由をつけることはできるけれども、この本の序盤を読んでいて、それはもしかしたら趣味的なものかもしれないと思った。
最初の要望をお聞きしてからお引渡しまでの間、お金のコントロールに一番神経を使う。絶えず、これをこうしたらいくら増額で、こうしたらいくら減額になる、というような算段をしながら物事を決めていかなければならない。
それが自分の仕事なのだけれども、建築の中にお金のやり取りだけでは生まれないような何かを埋め込みたい(それは職人さんの人間味等で付加されることもある)し、自分自身がお金のやり取りから開放された状態で関わりたい、という気持ちもある。
それはおそらく趣味的な何かを手放したくないと言うことなんだろう。
建築にはお金を頂いて関わる以上は、趣味ではなく仕事として誠実に向き合わなければならない、というのは一番基本的な心構えだと思う。
だけども、そのうえで、さらに最後の数%、建築の質を押し上げるためには、趣味の要素を取り入れることもまた、仕事のうちだと思う。
そのために3%の趣味を残している。のかもしれないな、と思った。
マイ「マイパブリックとグランドレベル」
マイパブリックとグランドレベル。
これも、自分がまちを見る時に漠然と、顔がなくて寂しい、とか、人間味があって好きだ、と感じていたことに言葉を与えるような言葉。
自分の場合、仕事とは切り離せないことがほとんどだけど、読みながら頭に浮かんだ(プチ)マイ「マイパブリックとグランドレベル」をメモしておきたい。
■先程のDIYなんかは、ごくごく限られた人たちの中でのことだけれども、それをやること自体、には何かしらパブリックな要素も含まれてるように思う。
■鹿児島の建築設計事務所 オノケン│太田則宏建築事務所 » 「棲み家」をめぐる28の住宅模型展
事務所のキックオフイベントで行った模型展。当時のマルヤガーデンズで出来たことがすごく良かった。
主な目的は営業的なものだけども、ふらっと見ていってくれる第三者との関わりは結構趣味的な感じだった。
マルヤガーデンズのガーデンは、店舗のフロアーを本書でいうところのグランドレベルに見立てるような取り組みだったのかもしれない。
■模型展のPR用に公園に模型撮影に行った時に、子どもたちが集まってきたんだけど、こっちの方がマイパブリック感あったかも。
その時についでに撮ってもらってたこの写真が好きで、たまには公園でゲリラ模型展しよう!と思っていたけど、やってないなー。
■事務所の正面のコンセプトは生活の匂いのない通りのグランドレベルに何かしら生活を表出させることだった。
鹿児島の建築設計事務所 オノケン│太田則宏建築事務所 » KMGO ~小松原の家+事務所
(夜仕事している明かりが漏れることを狙っていたけど、実際はSOHOで家族が寝てるので締めてしまうことが多い。)
訳あって、シンボルツリーを伐ってしまったので、昔作った白いベンチを置いた。たまに信号待ちの人が座ってる。でも切り株からまた木が育ってきて座りづらくなってる。(何か愛しく感じて伐れない)
通り沿いには棚を置いていて、昔は模型をずらっと並べてたんだけど、折り紙たちにとって変わられた。よく通りがかりの子どもたちが見ている。
■近所の公民館
公民館もDIYで愛着づくり。
公民館が通りから閉じた印象だったので、DIYで浮かせたお金で、植栽とベンチづくりDIYでなるべくオープンな表情に。
月1くらいで、カフェ(なんとなく集まってコーヒー飲みながらダベる)も自主開催されるようになったりして嬉しい。
ちょっとした種はいろいろあるんだけどなー。(育てるのが苦手)