B163 『ど田舎のたこ焼き屋とtwitter』『ツイッター×たこ焼き社会論』
このブログとリノベ研のどっちに書こうか迷ったのですが、今の段階では個人的な部分が大きいのでこっちに書きます。
うまく展開できればリノベ研にも書きたいですが。
たこ藩現象の中心にいるotakohanとそれを間近に見ているrectusによる2冊の電子書籍。
市内組としては多分たこ阪を早く発見して長く観察している方だと思うので、これは是非読んで感想を書かねば、ということで読んでみました。(変な生物みたいに書いてすんませんw)
『ど田舎のたこ焼き屋とtwitter』
otakohanの書籍は本人が「感想を書きにくくした」とこっそり?言っていたように確かにぱっと読んだだけでは少し掴みにくいかもしれません。
(おそらく意識的に)当事者もしくは店主としての視点を徹底し、客観的な解説のようなものを省いて書かれているので、そういう解説書・ノウハウ本のようなものを期待していた方はもしかしたら肩透かしをくらったような感じがするかも知れません。
だけど、僕が全部をつかめている自信はないですが、その主観的な視点の文章の中に肝になるような事が散りばめられていています。
たぶんotakohanならもっと丁寧に解説できたはずですが、「こっから先は自分に置き換えて自分で考えなはれ」という感じにわざと大きく余白をとっているように感じました。
たぶんそうやってじっくり噛みながらじっくりメッセージを読み取っていく、そして自分なりに答えを出していく、そんなビーフジャーキーのような本だと思います。
僕もじっくり噛んでみます。
『ツイッター×たこ焼き社会論』
一方rectus氏の書籍は、そのたこ藩現象を現代社会の特徴を絡めて丁寧に解説した本です。
rectus氏はリノベ研にも興味深い記事を上げてくださいましたが、その内容がさらに分かりやすく整理されています。
あらたに出された、「分人ポートフォリオ」「カーニバル支出」等々の言葉は示唆に富みますし、内容については、まー読んでみてください。面白いです。
ポストモダンを生きるモデル
ここで僕の興味に惹きつけてみると、twiiterの利用やたこ藩現象を通じて、またこれらの書籍を読んで感じたのは、このブログでも何度も書いているポストモダンを生きるモデルが少しずつ実現しつつあるということです。
少しツイートを抜き出してみると
onokennote: 早速購入。感想を書くのに僕個人の(悩ましい)関心に引き寄せるならカーニバルからポストモダンを生きるスタンスかな。 RT @rectuswarky: も一度だけ宣伝。おたこはんに続き電子書籍出版なう。たこ焼き無料のおまけ付き。 https://bit.ly/bxdFzu [09/16 22:34[org]]
onokennote: 『カーニバル化する社会』の時の感想では「個人の内面における「感性」の水準が前面化」することに可能性を感じてたけど、たこ藩現象を目の当たりにして今ならどう感じるか。 [09/16 22:36[org]]
onokennote: 「これでいいのだ!」と言いやすくなったのは確か。 [09/16 22:36[org]]
otakohan: @onokennote それの延長+それぞれの繋がりとでも言うか… [09/16 22:42[org]]
onokennote: あの本手元にないですが、たぶん繋がりの視点はあまりなかったですよね。繋がりの質とか意味とか考えだすと深みにはまるけど知りたい。 RT @otakohan: @onokennote それの延長+それぞれの繋がりとでも言うか… [09/16 22:53[org]]
otakohan: 一言で言うと非連続、かと。 RT @onokennote: あの本手元にないですが、たぶん繋がりの視点はあまりなかったですよね。繋がりの質とか意味とか考えだすと深みにはまるけど知りたい。 RT @otakohan: @onokennote それの延長+それぞれの繋がりとでも言うか… [09/16 23:05[org]]
onokennote: あーーーー。非依存ではちょっと違うかと思ってたので、なるほど。 RT @otakohan: 一言で言うと非連続、かと。 RT @onokennote: あの本手元にないですが、たぶん繋がりの視点はあまりなかったですよね。繋がりの質とか意味とか考えだすと深みにはまるけど知りたい。 [09/16 23:09[org]]
onokennote: いや、さっきの一瞬で帰ってきた一言、けっこうすごい。 [09/16 23:16[org]]
otakohan: なので、個人のモデルも変化してる気がしますがよ wRT @onokennote: (cont) https://tl.gd/62l708 [09/16 23:22[org]]
カーニバルについては
■オノケン【太田則宏建築事務所】 » B128 『カーニヴァル化する社会』
僕の理解では、このモデルは”今までは社会の慣習や宗教、常識などによってある程度枠組みがあったものが、ポストモダンの社会では全てが個人の選択にゆだねられるようになる。そこには依拠すべき理念や物語は存在しない。だけども、人間はそんなに孤独で際限のない自由の負荷に耐えられるほど強くはない。そこで、これまでの慣習などに代わってデータベースがさまざまな選択のためのネタを提供してくれる。”というもの。
というような理解だったのだけど、それで本当に”孤独で際限のない自由の負荷”に耐えられるかというと、ちょっと難しい感じがしてました。
だけど、otakohanの言う「非連続な繋がり」「自分の中に沢山の矛盾を抱え込むこと」のようなことの可能性のようなものがここへ来てなんとなく体感できるているような気がしています。
まさに
onokennote: 「これでいいのだ!」と言いやすくなったのは確か。 [09/16 22:36[org]]
です。
ただ、カーニバルをよしとする不安から自由になるには
■オノケン【太田則宏建築事務所】 » B064 『脱アイデンティティ』
ここから抜け出すために、またこのような社会で生きるために必要なものは「欲求をもつための体力」のようなもの、言い換えると「野性」のようなものかもしれないな、と少し思った。
みたいな体力(otakohanの言葉だと「日々足腰を鍛えておくこと」?)が必要なのかもしれません。
建築と分人
rectus氏の分人に対する論を読んでいると、最近多い建築の分散・分棟プランへの欲求に重なる気がしました。
一つの建築(個性)としてのアイデンティティを重視するのではなく、例えば個々の振る舞い(分人)の関係性を豊かにすると考えれば、両者に時代の空気として重なるところがあるのかもしれません。
「振る舞い(分人)ポートフォリオ」のバランスをプロデュースするというのも、ある振る舞いを少し過剰にしてみたり、新しい振る舞いの重なりを発見する面白さ、みたいなのに通じそうです。
ついでにいうと、分人ポートフォリオのうち、僕は明らかに建築分人が過大ですね。いいか悪いかはよく分からないけど。
本当は事務所開設当初の時間があるときに、自分の分人ポートフォリオのバランスをいろいろいじってテストしてみようかと思っていたのですが、しばらくは”建築分人”ばかり一層ひいきすることになりそうです。
まー、今のところ自分の分人バランスに不満があるわけではないのでいいんじゃないでしょうか。
さて、これをリノベ研的に展開できるだろいうか。rectus氏が言い切った感があるから難しいな。