B160 『建築家・篠原一男―幾何学的想像力 』
onokennote: 垂水フェリーにて多木浩二の建築家・篠原一男を読む。実は図書館で借りるのは三度目。なかなかじっくり向き合って読めなかった。今度こそ読み切りたい。 [01/27 12:19[org]]
なかなかまとまった時間がとれずぶつ切りになってしまいましたがようやく読めました。
篠原一男についてはそんなに詳しくないので、彼の作品を語る資格はまだないような気がするのですが、この本を読んでいろいろ考えさせられたのでメモ。
時間をおいてから、もう一度じっくり読みながら考えてみたいと思っているので軽めに書きます。(次に何か考えが進めば別にエントリーします)
機械と情念の葛藤
onokennote: 【引用】建築における正統の哲学は、主体を外装した物を支配する論理としてあらわれる。こうした現代建築は社会や人間に、公にその未来をひらくように見え、かつそのための哲学と技術を用意しているにもかかわらず、ひとつの疑問をおこさずにはいない。それは世界を、物を操作する論理のなかに還元してしまったのではないか。とすれば、ひとりの具体的な人間の欲望、息づき、愛し、憎み、正気と狂気のあいだを行ったり来たりしている人間の実存は最初からのぞかれてしまったのだろうか。( 1967 新建築/多木浩二『異端の空間』篠原一男論)
強調引用者[01/29 00:24[org]]
これが書かれたのが1967年、僕が生まれるよりも前だけど今の時代に対する問題定義と読んでもそれ程違和感がないように思いました。
設計が『(最終的には機械そのものを指向する)外在性の論理』を選ぶのか『人間の実存や情念』を選ぶのか。
先日の講評会の終盤でも『一人の秩序問題』と『デザインしづらい問題』
KDP_commission: 木方先生の指摘:都市の中に一人の人間の秩序が進入することはとても危険。 [02/18 15:25[org]]
KDP_commission: 宇都先生の指摘:デザインすることが非常に怖くなっている。時代的に。元に戻るべきなのか?どうなのか?建築という枠組みの破壊。自分はどこに立っているのか?自分が作っているものはなんなのか? [02/18 16:13[org]]
が出てきていたようですが、こういう葛藤はいつの世も繰り返されているものなのかもしれません。
二項対立的ではない方向があるんじゃないかと思うのですが、繰り返されるところを見ると簡単な問題ではないような気がします、というよりこういう問題は答えがないのかもしれません。
答えがあるのではなくそれぞれの立ち位置があるだけで、それぞれが自分の立ち位置を定めた上で精一杯取り組むしかないような気がします。
だから、ここでも答えを探すより立ち位置をデザインすると言う発想の方がいいような気がしてきました。
実存の問題について
実存の問題を横においといてクールに考えている分にはいいのですが、実存を視野に入れた途端に急に難しくなるような気がしています。
onokennote: 実存の問題を扱うのは簡単ではない。東京時代、所長に「お前の考える案はいつも装置として考えすぎで建築にならない」と怒られたのを思い出した。なかなか越えられない壁。 [01/29 00:28[org]]
実存ってなんぞや、ってところをきちんと整理できてないので上手く言えないのですが、先程の機械と情念に関して、例えば、藤村氏の手法は一見情念の部分をクールに切り離した機械的な手法と言えなくはないですが、個々の要素?に目を落とせばそこに人間・情念が残る可能性は残されているように感じています。(立ち位置として自分が選ぶかどうかはまた別の問題かな)
onokennote: 他者を主としたタイムラインは自己のアイデンティティと言えるか。アイデンティティや実存の概念に変化はあるのか。実存について考える際にその範囲を拡げたら新たなアイデンティティ像が生まれそう。と言うかそういう捉えかたがもともと普通なのかも知れないけれど。 [02/17 12:13[org]]
言うなればSNS的アイデンティティ像というようなもののを考えれば、個々の情念の密度は小さくなるかもしれないけれど新しい実存の形を基にした空間の可能性があるのかもしれません。
実存とかアイデンティティについては前にも書いてますね。一度きちんと整理しないと自分の中でも実存って何やねんてなってます。
■オノケンノート » B060 『リアリテ ル・コルビュジエ―「建築の枠組」と「身体の枠組」』
それは「知覚的」か「実存的」かという問題だろうが、僕なんかの世代の多くはそれらに引き裂かれているのではないだろうか。 「知覚」への憧れと「実存」への欲求。
「欲求をもつための体力」のようなもの、言い換えると「野性」のようなものかもしれないな、と少し思った。
うまくまとまらない読書記録になってしまいましたが、それだけ僕の中では問題提起の多いというか今の自分のバランスのためにタイミングの良い本でした。
副題の「幾何学的想像力」の観点から篠原一男の作品を解釈していくところもかなり面白かったですが、まだ消化しきれていません。