B035 『家族を容れるハコ 家族を超えるハコ』
仮に、社会の中から用済みの概念を見つけ、解体することによって、その概念によって縛られている人を解放することが社会学の使命の一つだとしたら、著者は紛れもない社会学者だと思う。
それは彼女の著作名を挙げれば明らかだ。(『家父長制と資本制』『近代家族の成立と終焉』『ナショナリズムとジェンダー』『サヨナラ、学校化社会』など。ちなみに僕は今『脱アイデンティティ』と言う本を読み出したところ。)
著者との対談で山本理顕が
建築は意識の場としてしかつくられません。現実がどんなに変化しても、その変化に対応して建築ができるということはあり得ない。
といっているのが本当だとすれば、概念(意識の場)を解体、変化させようとする著者のような仕事は、建築の根源に関わるものだと思う。
実際、山本は社会学的な分析によって図式化したものを落とし込むことによって建築の可能性を開こうとしている。
この本では、主に「住宅」と「家族」に関する論文や対談が収録されているが「家族を超える」「ハコ」というタイトルが示すように「住宅=住むための器」「家族=愛の共同体」という規範を解体する試みととれる。
ところで「規範」とはなんだろうか。
なかなか扱いづらいものである。
社会をうまく運営しやすくするために必要とされたものが、同時に人びとを拘束することにもなる。
また、「規範」をなくすことが、新たな「規範」となってしまう危険もある。
建築をやっていると「脱nLDK」を考えているうちに、なぜ「脱nLDK」が必要なのか分からなくなってくることがある。
それこそ「規範」になっているからやるのでは本末転倒である。(今の若手にはさらに逆に「脱nLDKの規範」を解体しようとしているように思う)
(寝室+家族団らんの場)=nLDKというように、無批判に「規範」に従っていたのでは、モノと現実とが解離していても気付かなくなってしまう。ゼロからきちんと考えましょう、という程度に考えたほうがよさそうだ。
といっても、これは簡単なことではない。
それに対して山本理顕はうまく道筋をつくっている。
別にゆっくり考えてみたい。
*********メモ*********
■上野千鶴子の提言
1.住宅モデル・選択肢の多様化をせよ
2.モデルに個性はいらない。住み替えを前提とした汎用性のある標準モデルを作成せよ(選択肢を多数含むこと)
3.住宅の暮らしへの特化はもはや終わった。生産的なアクティビティの空間(ラボ)を含みこんで欲しい。
4.顧問の空間に育児・介護の機能を組み込むことが必要。住宅と言うユニットはもはやユニットとしては完結しない。
■地縁・血縁でなく選択縁という考え方。
■近代社会になって規範が見事に内面化された。それが規範の呪縛の強さとなっている。
■福祉は家族解体を前提とした思想。家族を超えたコモンが必要。
■コモンに何を依存するかが問題になる。凝集力。配列の根拠となる。
■住形態に関しては地域社会の問題・介護の問題・家族の問題・育児の問題等を考える必要がある。
■コモンとインディヴィデュアルとパブリックとの関係。
コモンが鍵。ファンクション。必ずしも隣接の必要はない。
■コモンと土間を絡められないか。土間の持つ両義性。
■鉄の扉で一つのユニットを外から隔離したと言う革命。
セル。プライバシー。「家族は愛の共同体」。
■家族だけでは機能不全。
■東雲の後日調査ではf-ルーム(多目的室)の木製建具を9割近くが閉め切っていたようだ。(日経アーキテクチャー2005-10-31)開くことはなかなか難しい。