二-六 流れ―レイアウトと法則
流れのレイアウト
「私(私たち)である」と感じる領域の中には、その場所ごとの出会いの質とそのレイアウトによって、流れのようなものが生まれる。
その場所の出会いが、例えば見回す、歩き回る、見つめる、立ち止まる、座る、触る、食べる、などの行為に関わるものであるとすれば、それによって流れの方向が生まれる。そして、その流れのレイアウトが、「私(私たち)である」と感じる領域の中に流れの場を作り出す。
その場は例えば(探索的な)移動を促し出会いを活性化するような質のものもあるだろうし、そこにじっと立ち止まり、直接的な出会いの質を静かに高めていくことを促すような質のものもあるだろう。そのレイアウトはある程度の部分が建築によって生み出されるものだと思うが、決して固定的なものではなく、「私(私たち)」によってその都度経験的に発見される自在さをもったものであり、そういった自在さを含めて、その場に特有の流れというものがあるように思う。
流れのスケール
また、エイドリアン・ペジャンによると、あらゆる流れが、より良く(より早く、より容易に、より安く)流れるように進化し、それは、最も多くの流れをより早くより遠くまで動かす流れと、もっと少ない流れをもっとゆっくりもっと短い距離だけ動かす流れの2つで構成され、それらの流れに要する時間は等しくなる。また、このの構成は階層的・入れ子的に多くのスケールの構造となり、それぞれのスケールにふさわしいデザインとなる、という。
これを建築の出会いと流れに当てはめて考えてみると、流れはその場のスケールにふさわしい大きさと速さとデザインとなる。例えば、都市のスケールではその場はより大規模に早く流れ、建築のスケールでより小規模にゆっくりと、よりヒューマンな体験として流れる。それらは分断されたものではなく、一連の流れであり、それぞれのスケールに対してふさわしいかたちをとる。例えば高速道路の脇に、普通の住宅が普通の配置デザインで建っていたとしたら、おそらく異様な光景だろうし、きっとその流れの速度に相応しい住宅のデザインがあると考えるはずだ。同様に、身の周りの建物のデザインを見てみると、その場の流れに相応しいもの、流れとは全く無関係に見えるもの、いろいろとあることに気づくかもしれない。
このように考えてみると、都市と建築の関連と役割がぼんやりとではあるがイメージできる。その場のスケールに相応しい流れの場と出会うことによって、例えば都市と建築、さらに小さなスケールが一つの流れとしてつながることができる。
人は建築で、場の流れと出会う。また、その流れはスケールに対してふさわしいかたちをとる。