二-一七 建てること―住まうことを補完する

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建てることと住まうこと

現代社会は工業化・分業化などによって「建てること」と「住まうこと」が分断されている状況だと言っても良いだろう。

「住まうこと」が「建てること」と分断された状態では、人間は住まうことことの本質の一部しか生きられない。つまり、「建てること」と出会うことによって、はじめて本来の「住まうこと」と出会うことができる。

建てる人の「手」と「頭」

では、現代社会における「建てること」との出会いはどんなものがあるだろうか。

一つは、自ら「建てること」に関わることによって「建てること」と出会う。これは「建てること」と「住まうこと」の分断を直接的に関わることによって乗り越えるものである。DIYブームなどは、この分断を乗り越えようとする欲求の現れなのかもしれない。

または、技術と出会うことによって「建てること」と出会う。ある種の職人の技術は、手の跡やその技術の歴史など、「建てること」に関わる情報を埋め込むことができる。人は、その埋め込まれた技術と出会うことによって「建てること」と出会うことができる。これは、建てる人の「手」との出会いとも言える。

また、どのような場合でも、どうつくるのか、を考えるはずだが、その思考のプロセス自体が隠蔽されず、出会いに満ちて固有性を持ち、見た人によってトレース可能なものであれば、、結果としてその場に埋め込まれる。人は、その思考の痕跡と出会うことによって「建てること」と出会うことができる。これは、建てる人の「頭」との出会いとも言える。

これら3つは、それぞれ現代の施主・施工・設計に当てはまる。それらが3つに分断されており、さらに、それぞれがそれぞれの「建てること」を失いつつあるのことが「建てること」と「住まうこと」の分断を助長している。そのような中では、「建てること」と出会える建築は貴重な存在だと言えるのかもしれない。

人は建築で、「建てること」と出会い、本来の「住むこと」と出会う。




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