世界とのつながり
屋久島で感じたこと
僕の実家は屋久島にありますが、屋久島に帰るといつも海と山の見渡せる丘に登り、ボーっとすることにしています。そこで感じたことが、僕の建築を考える上でのひとつの原点になっています。
月並みな表現ですが、そこでは、何もかも忘れることができます。世界の広さを感じ、自分の存在の小ささを感じます。同時に、自分と世界との境界も曖昧に感じます。次の項でも述べますが、世界そのものが自分であるような感覚になります。そして、冷静に自分を見つめることができます。
抑制された想像力
少年犯罪や、自殺などのニュースを見ると胸が痛みます。僕の想像でしかありませんが、彼らは自分の周りのほんの小さな現実が、世界のすべてというように感じざるをえないような状況に追い込まれてしまったのではないでしょうか。
少し冷静に考えてみると、自分の周りの現実以外にも、想像もつかないほどの広大で多様な世界や可能性が存在していることに気づきます。彼らは逃げ出しても良かったのだと思います。ほんの小さな想像力ときっかけがあれば避けられた事件はたくさんあると思います。
しかし、日本はどんどん想像力を抑制する方向に進んできました。僕が建築と向きあいたいと思うきっかけになった97年の神戸の殺人事件でもいわゆるニュータウンと呼ばれる郊外のことが話題になりました。
同じような住宅が整然と立ち並ぶ砂漠のような状況の中、多様な世界に思いをはせることは困難に思います。さまざまな場面で想像の入り込む余地は切り捨てられ、抑圧されてきたように思います。
世界とつながる
そのような状況の中、想像力がはばたき、世界とつながりを持つことのできるような建築をつくりたいというのが僕の思いです。