価値観と軸 テンプレート
先に書いた発達保障理論に触れた講義録に書かれていたことは、僕の中での最初の問題提起に通じるように思った。
そして、この軸を複数設定するという方法は思考ツールとして使えるのではないだろうか。
一つの軸で考えれば「良いこと」だが、別の軸では多大なマイナスになるということも多い。
「良い面」が扱いやすい場合は往々にしてマイナス面は覆い隠されて見えにくくなる。
そして、一度二元論的に「良い」とされたことを覆すのは容易ではない。
そういうときに複数の軸を設定し、それをうまく扱えれば視界をグッと拡げることが出来るだろう。(おそらく、前記の講義は多くの人の視界を拡げることに成功したのではないだろうか)
しかし、軸の設定は恣意的なものにならざるを得ないので、あることに対する評価は軸しだい、つまり評価自体意味がないということにもなりかねない。
実際そうかもしれない。これによって「評価」という視点そのものをなくすのが最終的なイメージだと思う。
「評価自体意味がない」というのをいったん受け入れた上である軸を恣意的に設定する。
それが、デザインという行為ではないだろうか。
例えば「家、住まうということを考える」ということは、「軸を発見する」ということではないだろうか。
与えられた軸をむやみに受け入れるのでは生活を考えたことにはならないと思う。
先の講師のように自らの視点を持っている人が面白い豊かな軸を設定できる。
無限に沸き起こるさまざまな軸のテンプレートをぱらぱらとめくり、重ね、変形させながら、最適な軸を設定していく。そんな建築家像がイメージされる。
それは、僕の思うポストモダン的思考や『決定ルール』『地形』の考え方につながるかもしれない。
僕の中で少しだけ光、繋がりのようなものが見えてきた。