傲慢?
昨日は天気がよかったので家族3人でチャリンコに乗って永田川の上流の方まで行っておにぎりを食べました。
谷山も産業道路側は交通量が多くて落ち着かない感じがありますが、少し山の方にいくとすごいのんびりしてて良い感じ。
いい気分転換になりました。
チャリンコサイコー :にこ:
廃墟?
だけど、帰りに新しい住宅地の方を通ったのですが、この辺の風景を見ると気が滅入ります。
工業製品だけでつくられた建物が整然と並んでいる住宅地。
それにしても、何でこんなに気が滅入るのかと思ったら、建物ばかりでなく、外構含め、植栽などの緑が全くないのです。
建物たてたらそれで終わり。道路もアスファルトで固められてるし、どこにも人の気持が入り込む隙間がない。これじゃ廃墟としかいいようがありません。
それでも、こういう景色が次々と作られている現実を思うと、僕の感覚の方ががおかしいんじゃないかと不安になってしまいます。(育った奈良の五條というところも結構田舎だったし、屋久島は言わずもがなだし)
まぁ、僕の感覚じゃなくて、こういう景色の方がいびつなんだと信じることにして、やっぱりこれって「想像力が欠如した風景」なんじゃないかと思う。
これには「坪いくら」っていう考え方が結構影響していると思います。本当は外構や町並みなども含めての住宅なのに、坪いくらでは、広さとグレードが大事。外構その他はオプション、余計な出費。家の中は自分のもので大事だけど、それ以外は知らない。
それって逆に貧しい空間しか得られないのに。
傲慢?
「未来」を真正面から宣言した本を読んで、今はみんなちょっと傲慢になりすぎてるのかなって思った。
いい時代を経験して、自分たちはなにもかも手に入れたと勘違いしてるんじゃないだろうか。
「未来」なんか想像しなくても自分たちは何もかも手に入れる権利があると勘違いしているんじゃないだろうか。
誰かが未来を持ってきてくれると勘違いしてるんじゃないだろうか。
失ったものだっていっぱいあるのに目をつぶってたほうが得策だと思ってるんじゃないだろうか。
説教くさいかもしれないけど、「想像もしない」未来なんてやってくるわけない。と思う。