リアルとフィジカルに関するメモ

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随分とのんびりとしたReactionになってしまいましたが。

『先端の音楽の告げる予言』さつませんだい徒然草

機械的に造られた環境を「ヴァーチャル」というのなら、その反語はもう「リアル」ではなくなってる。今やそこに位置するのは「フィジカル」。で、リアル はその両方を抱合してる。mixiでの出会いは当人にとっては立派な「リアル」だ。でもそこにはまだ熱い血は通ってない。フィジカルな経験、体験を通じて 血は熱を帯びていく。

になるほど。「リアル」を「ヴァーチャル」に対置することにずっと違和感があったけど、これでスッキリしました。

建築に関して言えば「フィジカル」がより重要、というか「フィジカル」を浮き彫りにするような「 ヴァーチャル」のあり方が求められてる気がする。

ヴァーチャルがある種の抽象の役割を担ってるような。

それと、もひとつ。

『その影は装飾か?』404 Blog Not Found

それは何か?物理である。こうした装飾を施すことで、本来はただのデータに過ぎない、ディスプレイに表示されるさまざまなものに物理的質感が与えられるの だ。そしてその物理的質感が、ユーザーの使用感をより自然なものとする。ものをつかめるのなら、ウィンドウだってつかめるはずというわけである。

確かに、いわゆる『Web2.0風』のデザインは影がついたりと奥行き感があって親しみやすくなってることがポイントなのは確か。

でも、それはデザインの手法やレベルの問題であって、装飾が善か否かという問題ではないと思う。具象的な装飾でなくても抽象化などによって自然の秩序を浮き彫りにすることはできるし、それこそモダニズムが手に入れようとしたものじゃないだろうか。

”装飾”といった場合、人によって捉え方が全く違うのは注意が必要。少なくとも、Dan氏とhigepon氏が同じ装飾について語っているようには思えないし、『「仮想の現実化」というのは必要だし、それが現実に近いほど使用感は「自然」に感じられる。』というDan氏の認識を除けば両者がそれほど違う方向を向いているようには思えない。

higepon氏の『建築に無駄な装飾をとりのぞくモダンアーキテクチャという流派があるが』 というのもモダニズムをスタイルの問題に矮小化してるようで気になるし。

B037 『装飾の復権-空間に人間性を』オノケンノート

内井において装飾とは『人間性と自然界の秩序の表現』『宇宙の秩序感を得ること』であるようだ。

秩序を表現できるかどうかが装飾と虚飾との境目であり、おそらくそれらは身体でしか感じることのできないものだろう。
また、それゆえに身体性を見失いがちな現在においていっそう魅力的に映るときがある。
むしろ、身体が求めるのかもしれない。

僕的には、影をつけたり金属を真似たりというのはそういう秩序に近づこうとする一つの方法でしかないし、モニター上のデザインが独自の表現方法をいまだ見出せていない過渡期の状態である証拠なのだと思う。

モニターでの制約をひっくり返すぐらいの表現手法が見つかれば面白いことになるんじゃないでしょうか。

何が言いたかったか分からなくなってしまいましたが、リアルとフィジカルについてちょっと考えてみましょうというメモでした。

 





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