B148 『原っぱと遊園地〈2〉見えの行き来から生まれるリアリティ』
青木 淳 (著)
王国社 (2008/04)
前著は比較的分かりやすく誰にでも”利用”できる内容だったように思うが、今回は打って変わって私的な部分が表面に出てきたように思う。
建築的自由を求めるその先には公共的な価値があると思うが、その動機は思っていたよりもずっと私的なもののように感じた。(『くうねるところにすむところ』で描かれていたクロとシロの世界は著者の根っこのところにあるものののようだ)
思えば著者の師匠筋にあたる磯崎新も自著でこう書いている。
少なくとも、僕のイメージする建築家にとって最小限度に必要なのは彼の内部にだけ胚胎する観念である。論理やデザインや現実や非現実の諸現象のすべてに有機的に対応していても遂にそのすべてと無縁な観念そのものである。この概念の実在は、それが伝達できたときにはじめて証明できる。(磯崎新)
当たり前のことのようだけども、公共性と私的価値観を意識的に結びつけ成り立たせることはそんなに簡単なことじゃないと思う。
おそらく青木淳が開いた建築的自由というものは、最後のところでは青木淳のものであって、自分にとっての自由は自分で作り出すほかない。