絶望と嗤いもしくは笑い
だめだこりゃ – 書評 – 団塊漂流:404 Blog Not Found
そして極めつけが、このオビ。
[あなたは勝ち逃げできたか?]
だめだこりゃ。そりゃ絶望しまっせ。
それにしてもこの絵は恐ろしい。なんだかドキリとさせられます。(この絵についてはググって下さいな。)
いつの時代も、誰の中にもサトゥルヌスは潜んでいるんだろうけど、 それを忘れてしまうと上のような言葉が普通に出てしまうんだろうな。
ただ、ネガティブな要素を拾い上げて批判するのは簡単だ。そろそろそういうのを卒業したいなぁ、と思っているところにDanさんの新しい記事
赤木智弘たちに足りないもの – 書評 – 若者を見殺しにする国 :404 Blog Not Found
それが何か、やっとわかった。
笑い、だ。
(中略)
だからこそ、嗤ってはいけない。笑わなければならない。
なるほどね。
「嗤う」ことの裏にある影の魅力も捨てがたい。
だけど、「嗤うのではなく笑う」ためにはより強さが必要だし、そこにはその強さに見合うだけの深い影がある事を思えば「笑う」ことの方がより魅力的なのかもしれない。
そう思うと、上のサトゥルヌスの絵は笑っているように見えて・・・こないか。やっぱ哀しいね。