B137 『小さな建築』
富田 玲子 (著)
みすず書房 (2007/12/11)
前回の大竹康市に続いて、象設計集団の富田さん。
あるシンポジウムでスライドを見ながら、高層ビルは中が見えず墓標のようと言うような事を言われてたのが心に残っていました。
富田さんの生い立ちも含め、笠原小学校や住宅などいろいろな作品にも触れられていて象にぐっと近づける一冊です。
「負ける建築」とか「弱い建築」が注目されていますが、「小さな建築」は若干違う気もします。
ここで書かれているような弱さを反転した強さというものをあまり感じません。
強さはあるのですが、強さのための弱さではないという感じです。
富田さんのいう「小さな建築」とは
寸法が小さい建築ということではありません。私達が持って生まれた5感が、その中でのびのびと働く建築、あるいは私たちの心身にフィットする建築、それとも人間が小さな点になってしまったような孤立感や不安感を感じさせない建築のことだと言えばいいでしょうか。
というように、人間を小さな点として扱っていないという意味において相対的に「小さい」と言う事でしょう。
ですが、象の建築を考えてみると、建築が小さくなったというよりも、人間の感覚の方を広げてくれて建築の大きさに近づけてくれたという方がしっくり来ます。
ですから「小さな建築」というだけでは少し誤解があるかもしれません。人間と建築がお互い手を差し伸べ延べあい、距離を縮めあっているイメージでしょうか。
だけども、実際にまわりを見回してみると、人間と建築との距離は宇宙が膨張しているような感じで離れていって、人間が点になってしまって来ているようにも思えますし、この「人間が小さな点になってしまったような孤立感や不安感を感じさせない」という感覚はとても重要になってきているのではないでしょうか。
また、笠原小学校については以前テレビの感想を書きましたがこの本でも、学校の安全性に触れて
やわらかいもの、自分よりも弱いものが身近にある環境をつくってあげるほうが、犯罪を防げると思っています。笠原小学校では柱を見れば「いぬもあるけばぼうにあたる」、階段の途中には焼き物のタヌキやカエルがこちらをじっと見つめていて、気がそれてしまうのではないかしら。暴力に対して力ではなく、やわらかさで対応していく知恵を働かせないと、際限がなくなっていくと思います。
と書かれています。
防犯に対しては、実際に防げるかどうかよりも、犯罪が起こってしまった時に「最善を尽くしていた」と言えることの方が勝ってしまうのかもしれませんが、そこを踏ん張ってこういう視点をどこまで保てるかも大切だと思います。(セキュリティを強化してやれることはやったんだと思えるほうが楽だからそっちに流れがちだと思います。)
論理的で鋭い刃物のような文章ではありませんが、象の富田さんらしく、いろいろと感じることの多い本でした。
象はなんというか、等身大でありながら夢がある、というか等身大からスタートして建築が何かを語り始めるところまでの幅をぐーーっと引き伸ばしていく感じが魅力的ですね。