B157 『藤森照信 21世紀建築魂 ― はじまりを予兆する、6の対話 (建築のちから) 』
藤森照信 (著), 藤塚光政 (著), 伊東豊雄 (著), 山本理顕 (著), アトリエ・ワン (著), 阿部仁史 (著), 五十嵐淳 (著), 岡啓輔 (著), 三分一博志 (著), 手塚貴晴+手塚由比 (著), 大西正紀+田中元子/mosaki (編集)
INAX出版 (2009/6/30)
3つの「建築のちから」シリーズの第1弾。
藤森氏特有の眼力といつも通りの力技を駆使してこの先の建築のあり方を探る。
今まではなんとなくしっくりこない感じがしてたのだけど、アトリエ・ワンや(今回は出番はなかったけれど)坂本一成なんかに少しずつ共感できるようになってきています。
最後に収録されている対談の伊東さんの発言
僕が興味を持っている若い建築家たちは、ゼロ点へ向かっていくのではなく、20世紀的論理とは別の論理をつくろうとしている人たちです。そこにすごく期待をしています。彼らはとても微妙な関係性で建築をつくろうとしている。20世紀的な建築は、何か一つのルールがあって、それによって全体が構成されるものでした。しかし今、モノとモノとがある関係で結ばれていることから全体を組み上げていこうとするような手法が現れてきている。そして、そこにどのようなルールを発見できるのかが重要だと思っています。
というところに建築の一つの方向が表れているように思います。
たぶん、もうひとつの方向は身体性。(阿部仁史の傾斜、岡啓輔のセルフビルト他)
別エントリでのコメントの続きになるかもしれませんが、20世紀的な機能主義・純粋幾何学の論理を関係性や身体性を軸にどう超えられるか。
そのための方法論、もしくは攻めどころをきちんと言語化することを今年の目標に加えたいです。
その先が、モダニズムであるかポストモダニズムであるかは、定義の仕方によるかもしれませんし、どれだけ重要かはわかりません。ですが、あえて両者の違いをあげるとすれば、モダニズムが合理性等のある種の言い訳のもと一つの最適な解が導かれるという思想だったのに対し、ポストモダニズムでは”全てが別様でありうる”ということが前提となっているように思います。
全てが別様でありうる中での一つの振る舞い、もしくはデザインと言う行為そのもでしかありえないという前提のもと、意味や価値に囚われない(もしくはあえて囚われてみせる)自由な建築のあり方に近づきたいです。(この自由って言葉もかなりデリケートです)
あと、まだ読んでいませんが、伊東豊雄さん, 藤本壮介さん, 平田晃久さん, 佐藤淳さんのシリーズ第2弾および、この春出版予定の山本理顕さん、中村拓志さん、藤村龍至さん、長谷川豪さんの第3弾も楽しみです。