国分S邸が建つまで

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国分S邸が建つまでの話。

僕がまだ東京で働いていたころ妹の結婚が決まり、家を建てることになって僕に設計の話が来た。(今考えると大胆な妹。)

そのころ、ちょうど東京の事務所を辞めるかどうか悩んでいたころで、それを機会にしばらく鹿児島に帰る事にする。

特に鹿児島にあてがあったと言うわけではなかったけれど、僕にとっても始めての実作だし、近くできちんと見たかった。

ということで、東京で勤めながら夜中に案を考えたり模型をつくり、メールで妹たちとやり取りしながら進めて行き、11月の妹の結婚式で来鹿したときに大工さんと打ち合わせをして大筋が決まった。

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1月から工事が始まるので、鹿児島に引っ越したのだが、収入がなかったので、谷山の妹夫婦のアパートに居候することにした。(新婚夫婦のところに今考えるととてもあつかましい兄)

毎朝5時過ぎに起きて、妹の旦那の実家から借りた軽トラで1時間ちょいかけて国分の現場に通う。

最初、僕は現場監理のつもりで現場に行き、空いた時間に大工さんの手伝いをしているつもりが、ほぼ100%施工に参加していたので、すぐに大工さんの弟子のようになってしまった。

何度か大工さんの家に泊まったりしているうちに、大工さんから「日当5000円払おうか?」との話があり、ここで完全に大工さんに弟子入りするかたちになる。

ということで、途中から現場近くにアパートを借りて引っ越す。

途中、大工さんの腰の具合が悪くなり、数日間現場に出れない日が続くが、指示を受けて僕一人で現場をすすめる。
「あれっ?これでは本職の大工さんではないか?」
現場監理のつもりが・・・

土日などに妹夫婦も施工に加わったりして、そんなこんなで何とか家が完成した。

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この現場で、一番難しかったのは大工さんとの関係だった。

一応、見積もり前に図面一式を渡していたが、大工さんは細かく目を通してはいなかった。
当然見積もりもどんぶりである。

設計事務所とのやり方なんて考えたことのない地元の大工さんなのだ。

この大工さんは妹の旦那の知り合いの弟さんなので、「図面通り出来ないのなら辞めろ、よそに頼む」とは言えない。
おまけに僕は監理者でありながら弟子である。

ということで、現場が進んでいきながら、大工さんの「みちょらんど(見積もりに入ってないよ~)」「あわんが(割りに合わない仕事だね~)」を毎日聞かされることになる。

僕の安い日当じゃなかったらとても予算内で出来なかったのではないだろうか。

大工さんも気がいいので、少し程度の良い材料や、大工さんが考えた納まりや仕上げなんかを提案してくれる。

そこで、大工さんの機嫌をとりながら、提案を受け入れたりこちらの提案をお願いしながら、何とかまとまりのつくように進めなければならなかった。

だから、まぁ、作品と呼べるような緊張感のあるものにはなっていない。
それが逆に、妹夫婦の住む住宅としては気が抜けた感じで良かったのではないだろうか、と今では思う。

とにかく、大工さんにはお世話になった。

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その後、新聞に広告を入れてオープンハウスなどもした。

大工さんや近所の工務店から一緒にやらないかと言う話もあったが、今回の現場でしがらみがあっては監理が出来ないことを痛感したので断った。

自分の設計事務所の登録なんかをして、ちょこちょこと活動していたが、その年の9月にはとりあえず今の事務所の面接を受け勤めることにした。

教訓になりようもないくらいお金がなかったから当然。

楽天的で無謀な兄妹のお話でした。

妹のうちにはたまに遊びに行って寝っころがっています。





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