それぞれのスケールにとって適切な流れの大きさや速さ、それに伴うデザインがある B189『流れとかたち――万物のデザインを決める新たな物理法則』(エイドリアン・ベジャン)
エイドリアン・ベジャン (著)
紀伊國屋書店; 46版 (2013/8/22)
本屋でふと目について買ったもの。
流れの法則
この本の主張は至ってシンプルである。
有限大の流動系が時の流れの中で存続する(生きる)ためには、その系の配置は、中を通過する流れを良くするように進化しなくてはならない。
コンストラクタル法則は、単にこう言っているにすぎない。すなわち、動くものはすべて、時がたつにつれて進化する流動系であり、デザインの生成と進化は普遍的な現象であるということだ。
コンストラクタル法則によると、すべての流れるものは
・より良く(より早く、より容易に、より安く)流れるように進化する。
・それは、最も多くの流れをより早くより遠くまで動かす流れと、もっと少ない流れをもっとゆっくりもっと短い距離だけ動かす流れの2つで構成され、それらの流れに要する時間は等しくなる。
・上記の構成は階層的・入れ子的に多くのスケールの構造となり、それぞれのスケールにふさわしいデザインとなる。
著者はコンストラクタル法則を物理法則の第一原理に位置づけているがそれが適切かどうかは分からない。
しかし、これまで見てきた生態学やオートポイエーシスなどと同様に、一つの視点から多様な世界を眺める視点を与えてくれる。(その際に染み付いた常識を取り払ってみる必要があるのも同様。)
その範囲は、河川領域、気管支樹、雪の結晶や動物の動きなどから、生きていることの定義、生命の起源、知識や情報の流れや社会制度、空港や都市のデザインから黄金比や歴史まで、生物・無生物、物・現象を問わずあらゆる流れに適用される。
それは観察の結果導かれるもの、ではなく、単純な法則によって現象や未来を予測できるものである。それは例えば空港や都市をデザインするという行為において、確かに有効な視点であると感じられた。
ここで、デザインという行為(本書ではデザインは普遍的な現象として必然的に現れるもの、と捉えられている。)に活かすことを考えた時に、重要になるのは「何が流れるか」を認識すること、もしくはそれを問うことである。
建築を何が流れるか
コンストラクタル法則ではそれぞれのスケールにとって適切な流れの大きさや速さ、それに伴うデザインがあるとされる。
であれば、都市的なスケールで考えることと、建築的なスケールで考えることでは、扱う流れの大きさや速さ、それに伴うデザインは当然異なってくることになる。
都市的なスケールで人やモノ、情報や文化の流れはイメージしやすい。
では建築的スケールでは「何が、どのように流れる」とイメージできるだろうか。
ここで今考えている『おいしい知覚/出会う建築』と接続してみると、知覚もしくは出会いのさまざまが流れている、と言えそうである。
例えば生活や文化、歴史や思考、といったものの知覚が流れていると想像してみる。
都市のスケールではそれらはより大規模に早く流れ、建築のスケールでより小規模にゆっくりと、よりヒューマンな体験として流れている。
それらは分断されたものではなく、一連の流れであり、それぞれのスケールにおいてふさわしいかたちをとる。
このように考えてみると、都市と建築の関連と役割がぼんやりとではあるがイメージできるような気がするし、それはここ最近ようやく掴めてきた感覚である。
しばらくはこのイメージをより鮮明にすることを考えてみたいと思っている。