都城市民会館秋祭り-追記-
都城市民会館秋祭り+シンポジウム+親睦会に参加して僕なりの感想をつらつらと。
今日でこの建物と対面するは4回目ですが、ようやく内部を見学できたました。
そこでは設計や建設に関った人たちの気持ちの強さを感じることができましたし、シンポジウム・親睦会で存続活動を続けてこられた方々の真剣さや明るさに触れられたことは僕自身にとっても非常に有意義な経験でした。
もしかしたら、人が今まさにまちを動かそうというダイナミズムに触れた初めての経験かもしれませんし、こういう、人の気持ちのこもった、そしてさらに、関係者の思いを超えて建物自体が独自の存在としての命を宿したような建物を簡単に壊すべきではないと強く思いました。
市民会館をなぜ壊さないで欲しいかは何度か書きましたが、やっぱり大切に使っていくことが次の世代に対する大人の責任だと思います。
親睦会で「都城市民会館の再生利用を考える会」代表の黒木さんとお話する機会があったのですが、お孫さんが「なぜ壊すの?」と聞かれるそうです。なんとなく特別な存在なのでしょう。
それを壊すということは、お孫さんから特別な存在を将来にわたって奪うということです。さらにいえば、お孫さんには心象風景・思い出として市民会館が残るかもしれませんが、今から生まれてくる子供たちは思い出にすることさえできないのです。
そういうことを続けていけば本当に砂漠のような風景になってしまい、一番大切な”ヒト”が去っていきます。そうなってからでは遅いのではないでしょうか。
そんなことを考えながら、本当に残ってよかったし未来に向けての活用を議論できることは幸せなことだと実感しました。
と言っても僕は都城市民ではないんですが。ただ、思いのこもった建築が経済の道具にされて壊されることを避けられた、という事実が嬉しいのかもしれません。
帰りはヒラカワさんに途中まで送って頂き、最終電車で帰ったのですが、電車に揺られながらそういえば都城市は薩摩川内市に感じが似てるかも(人口密度には若干開きがありますが)と思いました。
なぜか川内の方々とまちづくりなんかについて語る機会があったのですが、川内の方のあんな記事やこんな記事を思い出してこういう概念は使えるかもと言う気がしてきました。
僕なりの理解ですが、人々の振る舞いに「プレイヤー(選手)」「ディレクター (スタッフ)」「オーディエンス(観客)」という3つの型があるとします。
昔の市民会館には何か催し物があると長い列ができていたそうですが、それはプレイヤーとスタッフの提供するものをオーディエンスが受け取るという形だったと思います。
娯楽の少なかった時代はそういう形式で良かったのかもしれません。しかし、娯楽のようなものが分散化し、ましてはMJのような新しい施設ができた今では市民会館には別の形式が求められているのだと思います。
別の形式とは例えば、今までオーディエンスだった人をプレイヤーまたはディレクターに引き込んで”共に楽しむ”という形式で、市民会館がそのためのステージ(舞台)となることです。
シンポジウムでの多くの意見もそういう方向だったと思います。
それはハードとしてのステージでもあるだろうし、人々の意識をつなぎとめる ため、イメージを共有するためのの意識の上でのステージでもあると思います。(ステージだと観客を想定してしまいますのでフィールド(場)といった方が良いかもしれません。)
そのためには、いろんな人が簡単に参加でき、思い思いにプレイヤーになれる仕組みづくりが必要でしょうし、そうした思い思いの活動をひとまとまりにするための共有のイメージづくり、例えばシンボルマークをつくるなどの一種のブランディングのようなものが必要になるでしょう。
当然、大学側の理解と協力が無ければできないことですが、それは大学自体のブランディングにもつながることですし、「解体の危機から一転全国でも”先進的な事例”」といえるような活用のされ方ができれば、 全国的に希有なポジションを獲得できます。
それは市、大学双方にとって願ってもないこと、まさに千載一隅のチャンスだと思います。というより、その道しかないようにも思いますが。
とまぁ、そんなことを考えながら帰りました。
もしかしたら、そういう物理的にも心理的にも共有できるものがある(残せた)都城はまだ幸せな方かもしれません。
都城が新しいまちづくりのありかたを切り開いてほかのまちや危機に瀕する建物の関係者に希望を与えてくれるようになることを願います。
最後にヒラカワさんはじめ関係者の方々、お世話になりどうもありがとうございました。そして、お疲れ様でした!