B040 『建築造型論ノート』
内容としてはソシュールなどの言語学を基盤とした造型論である。(倉田の講義ノート用の資料を教え子達がまとめたもの)
造型論としては特別な印象はなく、建築をつくる上での基礎的な技術に関わるものである。
技術としてはしっかり学びたいので内容については個人的に後でまとめようと思うが、僕が興味を持ったのは著者がなぜ”造型論”を追い求めたのかである。
倉田康男といえば高山建築学校の校主であり、建築への情念の人という印象がある。(高山建築学校については同じ鹿島出版会から本が出ているのでそちらも是非読みたいと思っている。)
その倉田がなぜ”造型論”なのか?
その真意が知りたかった。
倉田は「建築とは本来、こんなものではない」という苛立ちの元に設計事務所の運営を停止させ、高山建築学校と法政大学での教育にすべてをかける。
その苛立ちは僕も共有できる。
私達の周りの環境はあまりにも貧しい。
近代建築が完全に日常化した今日振り返ってみると、その近代建築の歴史は結局、建築の選ばれた人だけが手にすることのできる芸術品から、万人に許された使い捨て商品へのひたすらな歩みに過ぎなかったことに気づかざるを得ない。
”すべての人に建築を”という近代建築の目標の一つを達成したのかもしれないが、やはり「『建築はそんなものではない』と言いたい気持ちを抑えきることは不可能」なのだ。
エピローグで書かれているように、倉田はやがて建築の犯罪性を真正面から受け止める道へと至る。
どう考えても建築が社会の必需品として存在することの必然性は見つからない。
人間の営むすべての文化的営為の所産がまさにそうであるように、建築はそもそも余剰なのである。そして、もしかしたら、余剰こそが人類にとって最大の必需品なのかもしれない。
・・・建築が本来余剰であるならば、そもそも余剰は存在理由を必要としない。
建築は建築そのものでありさえすればそれで十分である。
・・・奢侈なくしてつくる悦びもないし、罪なくしては美はありえない
ある意味近代建築とは建築のもつ犯罪性・宿命を覆い隠すものであったのかもしれない。
その罪を再び背負う覚悟ができたときに、建築は建築そのものになれる。
そして、「建築が建築そのものであるということは、建築がひとつの独自な世界を表出したときにはじめて言える」のであって、そのとき造型論が必要となるのだ。
倉田はこの造型論を「純粋な技術論」として位置付けている。
それは、真っ直ぐに建築へと至ろうとする倉田の意志であり、社会に建築を取り戻してもらいたいという希望であるのだろう。
「今こそ[創る悦び]をもう一度建築に取り戻さなければならない。」
******メモ********
■「造型論」という言葉の印象から、内藤廣の建築とは相容れないようなイメージが合ったが、建築そのもへ至る姿勢は同じかもしれない。
■自らの生きざまを見つめ続けること。
そして目の前の畑を耕し続けること。
いつかはもたらされるであろう[建築]を夢見続けること。
それが建築を学ぶことのすべてなのである。
■確かに建築の創造作業において、建築を造型するという仕事はその有用性や合目的性の追及などの作業に比べると、ときとしては極めて空しく感じられることがある。しかし、建築が最終的には視覚の世界に実存するものであるかぎり、建築の創作行為は、建築を造型するという作業から無縁に成り立たせることは考えられない。
■1人ひとりが各々の身体の内側に[あるべき姿としての建築]を私的普遍性に裏付けられた確実な[イメージ]として築き上げることが、何にもまして重要である。
■[あるべきつがとしての建築]のイメージというようなものは、創り出せるものでもなければ、学びと取れるものでもない。ただひたすら学び続けるという行為の結果として、どこからともなくもたらされて、それぞれに身体化するものなのである。
■正統的学習が必ず目標に導いてくれるという保障はどこにもない。すべての学問に宿命的な有効性と不毛性という原理的に矛盾する二面性をここでは特に覚悟しなければならない。
■今最も必要なことは、ひたすらつくり続けると言う、むしろプリミティブな姿勢なのかもしれない。・・・明日の建築を信じる以外にいかなる途があるというのだろうか。
■最後の解説で「倉田はアブナイ建築家なのである。生きることと論じることを分けようとしない。」といっているが、建築とは本来そのようなものなのだろう。
■不安や恐怖、継続と忍耐、そして矛盾を抱え込むことは建築に関わることの本質なのかもしれない。
■そして、そういうことを感じるということはむしろ建築の本質へと近づいていること、歓迎すべきことなのかもしれない。
■覚悟なんてのは当然のことなのだろう。