小児医療が無料と言われれば
黒幕はいない。
(中略)
こんな流れの真犯人は、そんなに困ってない大多数が「ちょっとお得」なやりかたを志向する空気であって、 あとから犯人扱いされる人達は、たしかに破綻の特異点に立ってはいたけれど、 誰にもたぶん、そんな流れを止めるだけの力はなかった。
なんか、良くわかる気がします。
自分にとっての「ちょっとお得」を求めるだけで全体を俯瞰することが出来なくなってしまう。
と言っても、自分だって判断材料がなければ「小児医療が無料」と言われればつい肯定してしまっていたかもしれません。
「みんなにとっての「ちょっとお得」ではないけれど、こっちの方が正解じゃないの」と言っても選ばれる、という民意に対する信頼が必要でしょうが、そのためにはかなりの底上げが必要でしょうね。
ただ、社会的プラットフォームそのものに対する意識の希薄な日本ではなかなか難しいかもしれませんが。
■オノケンノート ≫ B110 『M2:ナショナリズムの作法』
フランスでは「連帯」という社会形式自体がコモンズだと考えられてきた。だから”家族の平安が必要だ”に留まらず、”家族の平安を保つにも、社会的プラットフォームの護持が必要だ”という洗練された感覚になる。日本人にはその感覚は皆無。家族の問題は家族の問題に過ぎない。(宮台)
どうすればいいんでしょうかね。
個々が意識をもって勉強するより仕方がない気がしますが、『社会的プラットフォームそのものに対する意識』は教育である程度意識付けが出来るようにも思います。