鎚絵さんに頼めるようになりたい
先日、モノのつくり手として尊敬する、鎚絵の大野さんのnoteにフェイスブックに投稿していた模型の写真を使っていただきました。
→モノ屋より、建築学生に贈る。|kowske ohno|note
鎚絵さんのななつ星製作秘話はこちら
→鎚絵製品特設ページ「ななつ星in九州」
何かを得るきっかけを頂いた際は、なるべくテキストにして残すようにしているので、少し書いてみます。
固有性を得るための闘い
僕は、建築をつくることは固有性を得るための闘いのようなものだと考えているところがあります。
固有性と言っても奇抜なものであればよい、ということではなくて、確かにそれがそこにあるという、もののあり方を獲得しているかどうか。
存在として人間を受け止めるような包容力を兼ね備えることが、建築というスケールのモノに課せられた使命のような気がします。
今の時代、少し油断をすると、簡単に固有性は霧のように消えてしまいます。そんな中でどこまで踏みとどまれるかの闘い。
僕は普段、割とローコストな住宅を設計することが多いのですが、複雑な形状も、高価な素材もなかなか採用できない中で何とか工夫をしながら固有性を死守しようと藻掻いている感じです。
そして、それは建築費がどんどんと高騰していくにつれてますます厳しい闘いを強いられるようになってきています。
それでもやっぱり工夫して闘うしかないし、その中から生まれる可能性もあるのでは、という気がします。(とはいえ、もっと余裕があれば・・・と常に切実に思うわけですが・・・)
構成と素材
その固有性を獲得するために建築が扱えるものとして、例えば「構成」と「素材」があるかと思います。
「構成」はモノとモノとを組み合わせる文法のようなもので関係性による力、「素材」はモノそのものの力。
それらをどう扱うか、そこにどんな密度をもたせることができるか、によって建築のあり方が変わってくる。
そして、それらはどちらの密度が不足しても十分な力を発揮できない。
学生たちが何を考えて、どんな模型をつくっていたか、実際に見ていないので想像しかできませんが、白模型で構成に走るのも気持ちは分かります。
構成の力を信じてそこに憧れを持たなくなっては設計はできないと思うし、素材の力に想像力が追いつかないのも分かります。
(僕が学生の頃なんて、何をどう考えれば全く分からなくて、ほとんど空っぽの案を出してました。)
だけど、やっぱりそっちだけだと、固有性を獲得することはかなり厳しい。可能性がゼロとは言いませんが、構成だけで成立しているようなものも、それを支えているのは素材だったりします。
実際は僕も人のことは言えず、今の自分の目の前の課題でもあります。
今は、模型よりもベクターワークスで3Dで検討することがメインになっていて設計時にはPCの前にいることがほとんど。忙しさにかまけて、素材そのものと実際に向き合うことがなかなかできないでいます。
コストが限られている中で、金額、というよりは、素材のあり方として、最低限これだけは、というラインを死守しながら、僅かな構成の力によって何とか乗り越えようとしていますが、新しい、素材との向き合い方(それは構成による向き合い方も含みます。)を開拓していかないと頭打ちになる、という危機感は常に感じています。
ベクターワークスとマテリアル
少し余談になりますが、3DCADで検討する、というのは一定の想像力を携えながら使うのであれば、悪くはないと思います。
CADはあくまでツールなので、使い方次第。
とは言え、ツールによって思考そのものが変わりうるというのも真実で、だいぶ前に議論されたように、テキスチャマッピングの作法が、「建築の中でで素材は表層ではないという当り前のことが、ほんとにわかっているのかと不安になります。」という状況を助長してきたのは確かにあるかと思います。
そんなとき、vectorworks 2021から新たに導入された「マテリアル」という概念が頭に浮かびました。
忙しすぎて、マテリアルの機能をまだ設計に導入できていないですし、もともとあったテクスチャという概念との違いもあまり理解できていないのですが、マテリアルは構造特性や物理特性を定義でき、その体積や面積を簡単に集計できるようになります。(たぶん)
マテリアルごとに、体積ベースで集計するか、面積ベースで集計するかを設定するようになっているようなのですが、これが少し面白いと思っていて、どちらで設定するかで、素材を表層として扱うかどうかの感じ方が変わってくるように思いました。実際の使い勝手は別にして、体積ベースに設定するだけでも取り扱うオブジェクトのデータの概念がモノに少しだけ近づく気がします。
BIM化の流れによって、3D内のオブジェクトが様々な属性を持つようになり、かつ、検討やプレゼンのための3Dデータだったものが、施工するための設計図としての3Dデータへと意味合いが変わりつつあります。
ツールの中で表層として扱われていた素材のあり方が変わっていくことで、取り入れるのが早い学生の素材に対する感じ方も少し変わってくるかもしれないな、と思いました。
いずれ鎚絵さんに頼んでみたい
コストが厳しい現場ばかりでなかなか頼むことができないでいるのですが、いずれは鎚絵さんに素材の力を十分にひきだしたものをつくってもらいたい、と思っています。
いや、ちょっと嘘ですね。
本当のことをいうと、頼めていないのはコストばかりではなく、まだ鎚絵さんに頼める自信がないというのが正直なところです。
鎚絵さんに依頼すれば「モノ屋」として、職人さんの「手」でもって期待以上に応えてくれると思います。
だけど、素材・モノの力だけが突出してしまっても、建築に素材の居場所がないですし、ただただ素材があるだけになってしまいます。
せっかく依頼するなら、「設計屋」としては「頭」でもって鎚絵さんのモノ・素材に見合うような構成をつくりあげて、ここしかないという居場所、存在のための余白を整えたい。
そうでなければ、どういうものを作って欲しいという依頼をすることもできない。
モノとの向き合い方も、構成としての力量も、まだまだ依頼のスタートラインに立つことができないでいる、というのが本当のところ。(なので、取り上げていただいたnoteの記事は恐縮するばかり・・・)
でもやっぱり、堂々と依頼できるようなものをつくれるようになりたいですね。