詩を編むように
このブログでは20代の頃から考えてきたことをいろいろと書き綴ってきているけれども、書いていることの根っこにあるものは昔からほとんど変わっていない。
子どもの頃や若い頃に感じたことの先には何があるのか、それを知りたいというのが一番の原動力で、主に何かを見たり、読んだりした時に感じたことを起点に自分の中の言葉を探そうとしてきた。
そして、ふと、今の自分にはどんな言葉が残ってるのだろう、という思いが湧いてきた。
昔のようにいろいろな言葉が次々と押し出てはこない。
しばらく考えて、なんとなく頭に浮かんだのは『詩を編むように、建築をつくりたい』という言葉。
これは、ふと浮かんできただけで、うまく説明できないけれども、これまで考えてきたあれやこれや、いろんなことが詰め込まれていそうな気がする。
現実的な経験を積んでくると、考えるときのモードが経験に支配されて、昔のような瑞々しさを失ってやしないかと不安になることがある。
だけど、この言葉は思考のモードを、経験と瑞々しさを合わせたようなものに整えてくれそうな予感がある。考えるときの姿勢を正してくれるというか。
実践以外の場でどんなにいろいろなことを考えても、そのままではなかなか建築そのものには持っていけない・届かない、というのがこれまでの実感である。
届けようとすれば、それを意識的に具体的な方法論に変換しインストールするか、実践に対する姿勢が無意識的に影響を受けていくのを待つか、のどちらかしかないように思う。
あくまで予感にすぎないので上手くいくかは分からないけれども、この言葉は後者に対して作用してくれそうな気がする。
少し待ってみようと思う。