いつかの自分の背中 B302『トラッカー: インディアンの聖なるサバイバル術』(トム ブラウン ジュニア)
トム ブラウン ジュニア (著), 斉藤 宗美 (翻訳)
徳間書店 (2001/1/1)
本書は、少し前に図書館で借りていたのだけど、読むきっかけがなかなか掴めずにいた。
そんなところ、前回読んだ本ででトラッカーについて言及する箇所があって、ようやくきっかけが掴めた。
したがって、開けに居住するということは、閉じた表面の上で立ち往生することではなく、風と気象の絶え間ない運動の中に没入すること、すなわち、自分なりの活動によって陸という織物を縫い合わせる作業に参与している存在者たちの構成の中でサブスタンスとメディウムが纏め合わされている領域に没入することなのである。アメリカの追跡家トム・ブラウンの解説によると、「追跡の端緒は、糸の末端である」。この力強い隠喩が示唆するように、陸と気象のあいだの関係は、大地と天空のあいだの不当かな境界面を横断するものではなく、むしろ世界を結ぶことと解くことのあいだの関係なのである。(『生きていることと(ティム・インゴルド)』p.290)
生物・無生物を問わないさまざまな線の織りなす世界とその痕跡。それらの糸を解きほぐしながら世界に没入する存在としての追跡者。
そのイメージはとっかかりには十分であった。
本書は、少年の壮大な冒険の書としてもとても魅力的で、少年のように半ば興奮しながら読んだのだけれども、内容について解説するのは野暮なのでやめておく。
『スタンド・バイ・ミー』を観たあと、もしくは『星の王子さま』を読んだあとのように、多感だった頃のいつかの自分の背中を、後ろからただ眺めるしかないような感覚が残ったのだけれども、大人を通り過ぎそうになっている今の自分は、その感覚をどのように消化すればよいのだろうか。
いや、この感覚を自分なりに消化することが大人としての責任なのかもしれない。どれくらい時間がかかるか分からないけれども、少なくともチャレンジはしないといけないような気がした。