B006 『ぐれる!』

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中島 義道
新潮社(2003/04/10)

「ぐれる」

なんとよい響きだろうか。
たぶん天邪鬼である私はつい題名に惹かれて買ってしまった。

「ぐれる」は「かぶく」ほど華やかでなく、「すねる」「ひがむ」「ふてくされる」よりも暴力的で、「すさむ」ほど絶望していないそうだ。
その、丁度よさ加減に惹かれる。

「ぐれたばあさん」「ぐれた社長」「ぐれた奥さん」
「おれ、午前中ぐれていた」「さっきちょっとだけぐれた」
「ぐれた総理大臣」「ぐれた最高裁判所長官」「ぐれた文化勲章受章者」

これらは、ぐれるための条件のなかで、違和感のあるものとして書かれているが、これらの言葉がちょっぴりチャーミングなのは、きっとこの言葉のもつ可能性の大きさを示している。
「かぶく」にも同じような可能性を感じ取れるが、「ぐれる」のほうがひかえめで良い。

『徹底的にぐれることこそ、「正しい」生き方なのです。ただし、下手にぐれるとみんなから―人生に何らかの意味を見つけて生きたい人や、誰かの役に立ちたいと願望している人や、自分が生きてきた爪痕を地上に残したい人・・・からたたきのめされます。―中略―上手にぐれるとは、このように、周囲の単純な人々を徹底的にだましながら、それを心から楽しみながら、ぐれるということです』

つまり、「ぐれる」とは004で触れたようなポストモダンを生きるすべなのだ。たぶん。

『善人とは、自分の価値観以外のものがこの世にあることを絶対にわかろうとしないアホな輩』とし、『こうした善人の策略にひっかかる者は意志の弱い者で、根性が腐っているのだから』『フツーの善人たちの軍門に降り』『「これでよかった」と呟いて死ねばいい』

と言ってのけるあたりなかなか痛快です。

『ぐれるのをやめ』て、『薄汚い善人どもの一員になる』『それだけは避けねばならない』

うむ。それだけは避けねばならない。

歳をとるごとにそれは難しくなるが、だからこそ『真剣に追求するに値し、たいそう味わい深い』のだろう。

終盤に作家を『ぐれ度』によって分類している

A(明確に)ぐれた作家たち
夏目漱石・三島由紀夫・野坂昭如・村上龍など(抜粋)
B(あまり)ぐれていない作家たち
正岡子規・石原慎太郎・司馬遼太郎・五木寛之・宮沢賢治など(抜粋)
Cぐれたように見えてそうでもない作家たち
与謝野晶子・小林秀雄・芥川龍之介・町田康・澁澤龍彦・よしもとばなな・林真理子など(抜粋)
Dぐれていなさそうでぐれている作家たち
良寛・谷崎潤一郎・志賀直哉・江藤淳・立原正秋

私としてはDがもっともグレードが高そうに見えあこがれてしまうが、根がまじめすぎるのはCにしかなれないようだ。

よっぽど真剣でなくては『ぐれていなさそうでぐれている』の称号は頂けそうにないな・・・

『鬱力』に載っている人はAが多い(宮沢賢治はBとなっているが)

やっぱりね。





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