B030 『負ける建築』
隈研吾独特の論理的な文章が続くが、今までに比べなんとなくキレがない気がした。
そのわけはあとがきの最後の部分で分かった気がした。
世界で最も大きな塔が一瞬のうちに小さな粒子へと粉砕されてしまった後の世界に我々は生きている。そんな出来事の後でも、まだ物質に何かを託そうという気持ちが、この本をまとめる動機となった。物質を頼りに、大きさという困難に立ち向かう途を、まだ放棄したくはなかった。なぜなら我々の身体が物質で構成され、この世界が物質で構成されているからである。その時、何かを託される物質が建築と呼ばれるか塀と呼ばれるか、あるいは庭と呼ばれるかは大きな問題ではない。名前は問題ではない。必要なのは物質に対する愛情の持続である。(p.230)(強調表示は03Rによる)
ぼんやりと浮かぶ可能性のイメージを何とかしぼりだそうとしていたのだろう。
そのための論理的な文体(強)とその内容(弱)の間のギャップがキレのなさを感じさせたのだ。
論理的分析が伝えたいイメージのための後付の説明のようにも感じられる。それは論理性の限界だろうか。
また、彼のような人のこのような告白には勇気付けられる。
彼でさえ、葛藤を抱えていて最後は「愛情」のようなものを頼りにしているのである。
というより、愛情があるからこそこういう困難な問題、情念のようなものに逃げたくなる問題に対して、あえて論理的に挑もうとできるのだろう。(それは隈の性癖であるのかもしれないが)
論理性の先に途は開けるか。情念が論理に勝るのか。
論理性と情念。おそらくそれらは車の両輪である。
そして、その両者のバランスをどうするかという葛藤は常に僕の中にある。
この本で、隈でさえ情念やイメージのようなものが先にあるということを発見できたことは収穫である。
磯崎新が書いた一文を思い出した。
少なくとも、僕のイメージする建築家にとって最小限度に必要なのは彼の内部にだけ胚胎する観念である。論理やデザインや現実や非現実の諸現象のすべてに有機的に対応していても遂にそのすべてと無縁な観念そのものである。この概念の実在は、それが伝達できたときにはじめて証明できる。
この本で隈が投げかけたものを自分の中のイメージ・概念として育てなおすことが重要だろう。
*****以後内容についてのメモ*****
各章の隈の分析は僕達にどういうスタンスを取るのか、という問いを突きつけてくる。
・切断としての建築ではなく、接合としての建築というものはありえないか。「空間的な接合」「物質的な接合」「時間的な接合」
建築は切断であるという前提を疑う。切断されたオブジェクトではなく、関係性としての建築について考察する。
切断によって奪われたものとはなにか。接合のイメージとは。
・場と物を等価に扱うイメージとは。(参考:オブジェクト指向)
ミースのユニバーサルスペース(物のメタレベルにニュートラルな場をおくという方法・ベンヤミンのいう「ブルジョワジーの「挫折した物質」と建築を切断する方法)→建築もまた物質であり、ミースの論理は仮定でしかない。
→仮定ではいけないのか。境界は不要なのか。
→「場と物という分割形式」に僕らがどれだけ捉われているかということを考える必要がある。それらと違うイメージをもてないか。
・建築に批評性は必要か。
時代の中心的欲望に身を寄せながら、批評という行為を通じて、その中心を転移させること。
しかし、批評性ということに捉われすぎたのでは。→(ケインズ的)「建築の時代」から開放され初めて『建築家は建築を取り戻す』
オープンな社会の中で、なおかつ必要とされる建築は何か。それを素直に思考することから始めればいいのである。・・・斜めから正対へ。徹底的にポジティブでアクチュアルに。
それは、「建築の時代」に寄り掛かれないということであり、建築家の能力がそのまま要求されるということである。
・形式対自由の二項対立の可否
形式≒抽象化≒主観性の排除その反発としての自由≒現象学≒個人の主観の重視
その克服としてのポスト構造主義→主観(自由)のメタレベルとしての形式それらの動的な循環運動
形式主義的な建築と受けて側とのギャップ。形式を無限に後進していくことが可能・必要なのか。
最も滑稽なのは・・・建築家自体が批評家という観念的存在を擬装して、リアライゼーションに対しての責任を回避し続けたことである。ポスト構造主義、冷戦的言説を駆使しながら、建築家はそのこころざしの正当化に明け暮れ、結果に対しての責任、「建築」に対しての責任を回避し続けた。
リアライゼーション・建築に対しての責任とは。
『徹底的にポジティブでアクチュアル』な姿勢をここでも要求されている。
隈の考察は建築が何に捉われいるかを見つけ出そうという試みである。
・建築家というブランドの問題。設計主体の「私」化の問題。
独裁者か、コラボレーターか。
「私」の設計手法の拡張可能性
巨大なものは、依然ブランディングという手法に支配されている。そこには依然として大きな断絶があり、いくつもの高いハードルが残されている。しかし「私」とい地道で着実な方法を鍛え、一歩ずつ広い領域へと拡げていく以外に、この都市という「公」を再生させる道はない。
・『施主も建築家サイドも自己というものの確固たる輪郭を失いつつある』中でどのような関係を築けるのか。
隈の言うように、『風俗嬢のごとき、つかず離れずの重くなりすぎない距離感』が求められていることを『受け入れることが、今日における良心的建築家の条件と』言えるのか。
建築家の職能自体が問い直されている。
いかなる形にも固定化されないもの。中心も境界もなく、だらしなく、曖昧なもの……あえてそれを建築と呼ぶ必要は、もはやないだろう。形からアプローチするのではなく具体的な工法や材料からアプローチして、その「だらしない」境地に到達できないものかと、今、だらだらと夢想している。
・そのようなイメージの行く先はどのようなものだろう。形という呪縛から抜け出せるか。それは「自由」へとつながるのか。(形式対自由の問題と合わせて考えたい)
この文章には隈のつくる建築が表れている気がする。
・建築はエンクロージャー(囲い込まれたもの)であることを乗り越えられるのか。
いっそのこと、たった一個の石ころをこの現実の路上に置いてみること。どう置いたら、何が起るのかをじっくりながめてみること。そのような行為を建築デザインと呼びたい衝動にかられている。
アクティビティとの関係は。