二-二十一 距離感―自立と自律
出会うための距離感
建築を出会いの対象と考えた時、建築はあくまで環境であり他者である、というようなあり方が重要となる。
人が何かと出会うためには、人が能動的に関わる必要があるし、そのためには、建築がその人の内面に回収されてしまうようなものではなく、人と建築の間にある程度の距離感が必要である。それは、人と建築とが一方が一方に従うような縦の関係ではなく、並列の関係としてそれぞれ自立しているような状態である。これは、関係性を持たない、ということではなく、むしろ横の関係であることによってお互いの関係性を担保しあっているような状態である。
これは、社会性のところでも書いたけれども、商品化されたような建物は主従の関係性を軸にしてきたため、こういう距離感はなかなか保てないし、出会いは限られたものになってしまうように思う。そんな中、人との距離感を保ち、自立しているような建築は、商品化された建物と比較して「不便なもの」としてネガティブに捉えられやすい。しかし、その「不便なもの」と捉えられるものは、「出会いを可能とする隙間、可能性の海」としてポジティブなものに転回可能であることが多いように思うし、現代社会においては、むしろ出会いの機会として貴重なものかもしれない。
自立と距離感
また、建築が自立しているためには、私との距離感の他にも他者・耐久性・矛盾といった要件があるように思われる。
まず、他者から切り離されたものは出会いの環境とはなれない。それでは孤立である。建築が孤立ではなく自立するためには、他者と切り離されるのではなく、むしろ他者の存在によって初めて成り立つような相互関係の距離感を保つ必要がある。
また、建築が存続しなければそこで出会うことは出来ない。建築が自立し続けるためには当たり前のようだが、物理的・経済的・機能的な耐久性、さらには愛着といった心理的・社会的耐久性が不可欠である。それによってはじめて持続的に出会いの環境となれる。
さらに、建築が意味や価値を持つには自立しているだけでなく、矛盾のように、人との距離を固定化せず、出会いのはたらきの動力となるようなものが必要かもしれない。
自律と他律
ところで、ここまで自立という言葉を使ってきたが、自立と自律はどう違うのだろうか。
分析記述言語では自立は構造に帰属され、自律はシステムに帰属されるそうだ。これまで考えてきたのは、建築が人と並列の関係であるべき、という構造に帰属される問題であり、自立性である。
では建築の自律性とは何かというと、これはシステム(つくり方・つくられ方)の問題になるように思う。
何と出会うのか、と同様に、出会う建築はどうつくられるか、というつくり方・つくられ方の問題も重要であるだろう。これに関しては後で書いてみたいけれども、自律的につくられるか、他律的につくられるかで、そこに生まれる出会いにも違いが出てくるように思う。
人は建築で、ある距離感のもと出会う。